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ちょいと一服

休みの間に体力UPを目指したが、この雨続きで体重UPに終わった。8日ぶりに仕事。15時間の夜勤明けでボロボロになった。帰宅して居間での一服は格別。

かっこよくタバコを燻らしている人の姿が全く見られなくなってしまった。
昔、当たり前のように見かけた街中での咥え煙草。映画でも主人公の男がニヒルに咥え煙草で歩く姿がかっこよかった。
嫌煙という権力に追いやられて隅っこの方で肩身の狭い思いをしながら街中のコンビニの前だったり、喫煙所で背中を丸め、コソコソ吸っているとだんだんと卑屈になってくる。自分の煙草を吸う姿が決してかっこいいものではないと自覚したときから人前で吸うようなことをしなくなった。
社会の片隅に生きる人というのはそれなりに人生の深みのようなものを感じたりするが、町の片隅でちまちまタバコを吸っていると薄っぺらでただただ惨めで汚らしいだけだ。
多い時には60本。普段でも40本は吸っていたタバコ。
本来は嗜好品であるはずの煙草だが、一日40本以上も吸っているともはやそれは嗜好の範囲から逸脱してしまっている。
理不尽ともいえる極端な値上げによって泣く泣く減煙に追いやられ、10~15本。あれから10年が過ぎた。誰にも遠慮することなく吸える喫茶店も少なくなり我が家以外では吸うことがない。もちろん歩きたばこもやらなければ運転中も吸わない。
減らすと決めた日から一か月間は一本も吸わずに過ごすことができた。けれど、煙草をやめるつもりはなかった。その一か月で私は中毒とか依存症ではなさそうだということが判った。CO2削減だのコスト削減だのと、世の中の削減ブームに上手く乗っかっていけたのは幸運としかいいようがない。
ところでいまだに「そこまでできるんなら全面禁煙しろよ」と、ビジネス書とか自己啓発本なんかをたくさん読んでいそうな人たちから冷めた目でよく言われる。ごもっとも。と、言いたいところだが、野暮ってもんだ。
タバコは良くない。百害あって一利なし。タバコは体に悪いと医学データがはっきりと示している。しかし本当に百害あって一利なしなのか。まるで諸悪の根源のような扱い方をするのはどんなもんか。
ゆったりとコーヒーを飲みながらの一服は本当にリラックスできる。
問題は量だ。自分に合った差し障りのない量だ。全ては適量だ。ということにしてほしいね。
酒は百薬の長という。しかし飲み過ぎればこれほど危険な毒はない。
人は体に悪い事をすることで楽しみを感じることを知っている。
大体において楽しいことは多くの場合やり過ぎると体に悪い。
全てが健康のため、安全のため、などと言って、一切の羽目を外す行為もできないまま、一生を過ごせるものなのだろうか。そんな人生が幸せなのか。と、ドンと机を叩いて叫びたい。
無菌状態の中で一生を過ごすのが幸せなのか。毒をつまみ、ヒヤヒヤワクワクしながら蓄積した鬱憤を発散する毒が、心を活性化してくれるものなのだ。
タバコは、酒やコーヒーと同じ嗜好品。このひと時は何にも代えがたいものなのである。絵画で言えば余白、音楽で言えば余韻。小説や随筆のように行間を読む楽しみと似たところがある。
無駄に65年も生きてる。これくらいの屁理屈は言ってもバチは当たらない。

夜勤明けで帰宅後の一服がいい。

 

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