見出し画像

ごきげんよう

本当にここに人が住んでいるの ? と言われかねない程、雑草ばかりが伸び放題。バブルがはじけて、地上げに遭って放置された廃工場のような我が家だ。ゴミ袋4袋分抜いたが全然代わり映えしない。自分でさえそう思うくらいだから他人様から見ても何にも変わっていないようにしか見えないだろう。実際にはこの家など見てはいないだろうからあまり気にすることもなかろうとは思う。
せめて足を踏み入れることも出来ないような状態にはしないように気をつけないといけないが、きっと死ぬまでこの家が綺麗になることはないだろうと思う。
ご近所迷惑のことも考え、蚊の大量発生だけは避けたいと思っている。ま、我が家の庭が汚いかどうかは第三者機関の公正な判断に委ねることにする。

路地を歩いていて軒先に鉢植えが置かれてある光景はまだ見るが、家の造りが変わりつつある今、路地の持つ独特の空気を感じることは少なくなってきている。低い軒の連なる路地は、家ごとに鉢植えが並べられ、彩り豊かに花々が咲き競っている。そこに住人の姿がなくても花々が通りかかる人の目を楽しませる。これも一種の挨拶ではないかと思ったりする。軒先の鉢植えが住人になり代わり、そこを通る人々への挨拶みたいなものだ。
今どき小中学生たちの無理矢理させられて口先だけの挨拶は鬱陶しいだけだが、軒先の鉢植えは「ごきげんよう」と、そこを通る人に微笑みかけてくれているようでいいね。
柄にもないことを書いてしまった。夜勤明けで頭がおかしくなってるんだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?