散歩にいい季節になりました
いわゆる散歩と言われているものは17~18世紀辺りのイギリスが始まりとされているらしい。その起源は私にはわからないが貴族の領地検分が元だったのかなと勝手に想像する。
ある雑誌で得た浅い知識だからあまり掘り下げた話は書けないが、広い領地を散策したのが始まり。散歩のための路をわざわざ整備した領主もいたらしい。
散歩は、遠路はるばる訪ねてきた客人をもてなす意味も込められていたという。現在でも訪れた先で「まずは散歩を」なんてこともあるそうだ。私なら到着早々の散歩は勘弁してもらいたい。せめてドカッと腰を下ろしてお茶の一服くらいはさせてほしいところだ。ま、文化はいろいろだ。
というわけでそういう文化が芸術家や哲学者たちに広がりベートーベンやカントといった人たちが思索を巡らせながら散歩をする習慣がついたらしい。
日本には明治の頃にその文化が入ってきたらしい。夏目漱石、森鴎外など外遊から戻った際に持ち込まれ、文壇・思想家たちに広まっていったようだ。
だから本来の散歩は「思索しながら」ということにあるようで。私のようなものがする散歩とはだいぶ趣が違う。思索するほど頭を働かせることなどなく、ただぼんやりと歩いているだけで、徘徊に近いものになってしまっている。
一応自己というものは認識しており、まだどこを歩いているのか、どうやって家へ帰るのか、帰った後に何をするべきかという認知はあるので、はっきりと徘徊と言い切るには「あまりにも」なので散歩と徘徊の中間という位置にいるのではないかと思うが、おそらく日本人の多くは私と同様に散歩をしながら思索にふける人はそう多くはないと思う。
散歩に目的の有る無しや、行先を決めての散歩。行き当たりばったりの散歩、人により様々な散歩があるだろう。思索をしてもしなくても散歩はいい気分転換になるし体にもいい。4月に入り、いい散歩の季節になった。
杉山町では野鳥のさえずりを聴きながらの新緑と水田が輝く風景が広がる。現実的には左半身の不具合と相談しながらになろうが、スケッチブックを持って歩きたい気分である。
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