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【 #ヒトシネマ】静寂の中、「笑い声」のみが響く

※おことわり
いつもよりちょっと過激なレビューになっているおそれがあります。ご了承ください。まだの方は今すぐ劇場へ!……と今回は言い難い。






よろしいですね?それでは始めます。


人に指を差されつつ笑われた事はあるか。
自分としては至って真面目にやったはずなのに嘲りと蔑み、もしくは憐れみの目で見られながら笑われた事はあるか。
もしそうした経験がただの1度でもあるなら、この映画は複雑な重みとともに突き刺さるだろう。

今作の主人公アーサーは、「不随意に笑う」という厳しい病に苛まれた男である。傍から見れば特に理由のないタイミングで笑い、一世一代の大勝負でも笑い、そんなにおかしくもないのに笑う。それ故彼を理解できず、指を差して笑い、平然と蹴り飛ばし、言わずとも嘲る。
些細(かつ重大)なミスで失職し、人と致命的に笑い所が噛み合わないままにコメディアンを目指すアーサー。TVショウの出演を夢見ながら母親と2人で暮らす彼の運命は、たまたま手にした一丁のリボルバーと共に壊れていく……。

正直に言うならば、前半のアーサーの姿は直視に耐え難い。ほぼ環境音しか聞こえないなかで朗々と聞こえるホアキン・フェニックスの大笑。周囲と明らかに合わないタイミングで漏れ聞こえるホアキンの笑い声。TVショウを真似てポーズをとり、スターのように話すアーサーの立ち振る舞い。その全てが堪える。
彼が悪いのか?少しはそうかもしれない。でも、彼「だけ」が悪い、とは絶対に言えない。一つ一つの、一日一日の積み重ねがアーサーを「市井の注目人物」に、「TVショウの笑い物」に、そして「道化」に変えていく。終盤の無法地帯の最中で嬉嬉としてゴッサムシティを歩くジョーカーの姿は、一種爽快感すら見せるものがある。社会の歯車ほぼ全てに噛み合うことのなかった歯車が、社会を破壊する歯車と化す。この恐るべき怪演、いやそれを通り越して狂演を見せたホアキン・フェニックスの演技は、少なくとも今世紀末まで語り継ぐべき伝説である。彼の役者人生を致命的に歪める程の「ハマり役」、いや彼そのものが確かに1人の社会と噛み合わないピエロと化している。


指を差されて笑われた事はあるか。
指を差して笑ってしまった事はあるか。
己に向けられた嘲りを、聞いていないように装った事はあるか。
遠巻きに誰かを嘲った事はあるか。
そうした経験は、おそらくこの映画を見る上で観客を揺さぶる要素になるだろう。私はなった。
「見てほしい映画」とは、ちょっと言えそうもない。
自分で決めてから劇場に行き、できれば何かに耐えるためにポップコーンとコーラを用意してから見てほしい。


今回の映画:「JOKER」(2019年・米)

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