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借り者狂争曲

「岸川さん!」
「岸川ァ!」
「てめぇ待てや岸川!」

今や岸川は理解していた。今日は明らかにおかしい。こんなに多くの人に追い掛けられるのは数年ぶりだ。いや、誘拐犯だった時でもこんな追われ方はしていない。
息を切らして走りながら、岸川は2つの選択肢を用意していた。カズ坊に車を出させ、西に逃げるか。それとも危険を覚悟で駅前に向かい、人混みに紛れるか。

そもそもなぜ自分が追われているのか、岸川には分からなかった。余罪などない。借金も半年前に何とか完済した。前科があってもただの人間であり、最早ただの38歳である。

「なんでだよ!」

逃走者の声は響いた。
「なんで俺なんだよ!もう何もやってねぇよ!」
怒気を孕んだ岸川の叫びが、群衆の先頭を止めた。
「そんなに人の人生荒らして楽しいかよ!?」
「いや、あんたを捕まえたら530万貰えるって、これだよ。知らないの?」
先頭を走っていたバンドマンが、岸川にスマホを差し出す。
「は?530万?」

【Lv.53 刑務所を5年以上前に出所した人】
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たった530万
15年前に10億の身代金を求めて当時の外相から孫娘を拐かした男からすれば、本当にほんのはした金に思えた。
そんな事の。
ただそんな事のために。
俺を。
追ったのか。

「おい!」
岸川に一つの策が浮かんだ。
「これの主催者の情報を俺にくれないか」
自身の「身代金」を使うしかない。
「くれたやつに捕まってや」

「そんな事より金よこせや!」

どこからか声が上がる。
駄目だ。交渉の余地なし。
これ以上足を止める意味がない。
「……くそっ!」
岸川はスマホを投げ捨てて走り出した。
走れ。今はただ走り、「交渉のアテ」を探し出せ。
たった1人の戦いは、こうして始まった。


これは、5日間に渡りこの国を揺るがし、社会を破壊したテロ――端的に言えば「借り物競争」の顛末である。

【続く】

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