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備忘録 これまでとこれから。



2年前、独立したタイミングでこの町に来た。
元々海のある街に住むことが夢だったのと、持続可能な暮らしがしたくて移住したけど、結果的に、自分と深く向き合い、成長する貴重な期間だったと思う。

自分でもわかりやすいほどに、転換期に立っていると思うので、これまでとこれからを綴っておく。

7年前に上京。上京する前の東京は、小学校6年生の頃に家族旅行に来た時のキラキラしていて刺激的な場所だった。夢に溢れていて、憧れていた。
久々に受験の為に東京にた時は、必要も無いのに渋谷109に長居したり、渋谷の隣の人との距離が異常に近いタバコの匂いのするカフェで、「これが東京か〜!」と1人前にでもなった気分で憧れに浸った。(純朴すぎて恥ずかしい。笑)そんなに好きでもないのに頻繁に渋谷に行って、何がオシャレなのかよくわからないもこもこ靴下を履いて。当時のファッションをみると自分でも心配になってしまう。

それから体育会のマネージャーをしたりサークルで大学生活を楽しみながら芸能界で沢山揉まれた。地元でぬくぬく育ち、親戚に男しかいない中で特別可愛がられ、そこそこ何かできると勘違いしていたあどけなさしかない芋高校生のプライドはバキバキにへし折られた。へし折られたけど、言われてみて自分を客観視したら言われた言葉は全く間違っていないと思っていたので、だいぶマシになったとおもう。

東京は今もやっぱり大好きだ。
おじさんに媚び売って貰った仕事をしてもギャラ0円だった華やかに見えていた世界も、港区の夜に自分の小ささを大きなBGMの中に酔いしれながら隠すようにする男女も、好奇心だけで飛び込んだ歌舞伎町の店で終電間際に泣く女性の悲しみも、タワマンに集まっただけで何か凄い人間になったかのように自分も錯覚してしまう虚しさも、東京タワーを真正面に高級フレンチを食べることに時間を使うより、中身のある人間と自然に触れることに時間を使うほうが自分にとっては抜群に幸福度が高いということも。
凄い人の中にいても、連絡先を交換しても自分は何も変わらないということも、自分の弱さ小ささを認めて鍛錬できる人間が強いということも。
地元にずっといたら知らなかったたくさんのことを教えてくれた。


当時の自分は今よりずっと承認欲が強くて(承認欲が強いのは悪いことではなかったと思う。そのおかげでできたことも多かった。)誰かに承認されたかったけれど、ラジオパーソナリティになっていざファンの方々できたら、悲しみを感じることや疑問のほうが強くなった。「りおちゃんに元気をもらえるから会いに来ている」と職場不満を漏らしながら言うけれど、「普段、元気がないのか?どうしてそんな日々なんだろう?」「こういう人たちの人生を、もっと根本から変えることはできないのか?」私の時間には限りがあるし、女性として依存されてしまっていては、周りの人も本質的には幸せにし続けられないなと思い、モヤモヤが募ったし、悔しかった。

だから、もっと強く自立した女性になろうと思った。夢だったアナウンサーからも方向転換した。自分で自分の人生の舵を取り、人や企業の課題解決ができる人間になろうと思った。
27歳でマネジメント
29歳で独立
という目標を掲げてリクルートに入社。思ってた通りのはちゃめちゃに最高な会社だったけど、精神を壊して半ば強制的に辞めなければいけなくなった。人生ではじめて、お金がないことも経験して、ただ普通に生活して生きていくことの辛さを知り、私が助けたい人達を幸せにするには、一定、自立支援と同時に経済的な支援も必要だと思うようになった。
同時に、聖書に出会い、聖書から人生を学ぶようになった。海外に何度行っても、価値観や文化の違いはあれど、人間の問題は同じだったし、肉的な距離を移動するだけでは見つからないものがあるとも感じていた。

そんな中で聖書を学んでみると、価値があると直感的にも理論的にも感じたので、独立してからかなり投資した。結果的に、肉体的にも精神的にも得たものの方が自分にとって計り知れないほど大きい。そしてまた聖書に学び自分に向き合う中で中途半端だったプライドもかなりへし折られた。イエス様に学ぶ道は限りなく狭く、遠い。笑
元々持っていた自分の考え方が、根本から解かれ、聖書という小さな一つの本から学び混沌とした世の中で、善悪の基準についても明確に学ぶことで、私は縛られるところか、むしろ広く、かなり自由になった。
聖書にある「真理は人を自由にするだろう」の意味も、書いてあることを実践する中で徐々にわかるようになった。

自分が成長する時は痛みが伴うから、何度泣いたかわからないし、たくさんの痛みもあったけど、そんなことを繰り返して気がつけばより新しい自分に生まれ変わっていた。

人間そのものについても教えてくれたので、どのようにこの人生の限りある時間を人間として使っていくべきか、今は自信を持って選択できるようになった。
幼い頃に感じた、「人生には限りがあるから、後悔なく何でも楽しんでやろう。全力で生きていこう」というスタンスは活発な性格もあって今でも変わらないが、自分の考えだけではやらなくなり、神様に祈って、信念ありきで共にやることで、あとから考えれば、無駄なことをしなくなり、タイミングを間違えることもなくなり、時間の密度が爆上がりした。 いままでは無意識に1を得るために、10くらいの時間とエネルギーを費やしていたが、今は1を得ようと思ったら2-3くらいを費やしている感覚だ。自分の視野・考えはいかに狭かったと言うことを知った。また、死について考えるようになったのは新たな観点だ。「死んだ後のことなんてわからないし、無かもしれないから、生きているうちは目の前のことを楽しんで集中しよう!」と思っていたから。

独立してからは、結果として、大企業にはいられなかったけれど26歳でマーケターとして様々なプロジェクトを動かす中で日々50人以上の人を統括。人の上に立つほどに誰かに気持ちよく動いてもらうことの難しさも、自分の至らなさも日々感じている。聖書にもある
「しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」を肝に命じている。
マーケティングという強みを活かせるものに出会えたことで、やりたかった企業の課題解決もできるようになった。
大企業にいた時も自由にやってもいい会社だったが、膨大な社数を「営業」担当として抱えている状況で、さらに踏み込んで課題解決までできる力量になるまでには一点集中型の私だったら3年はかかったし、かなりパッションが必要だったと思う。

仕事はさておき、、というのも今、そもそも仕事を人生の中心には置いていない。仕事は大好きだけど、中心ではなく、様々なことの手段だと捉えている。
肉体はどんなに美しくても、いつかは衰えるし、働けなくなった時に物質的なもの以外が何も残っていない人間にはなっていたくない、と強く思う。(筋トレもサウナも栄養管理も趣味の域で大好きだし、自分のためにもっと可愛くもなりたいし、肉体はとても大切だけど!)

何より精神が豊かでありたいし、死後のことも考えながら命を貴重に思って生きている。日本では霊魂とか、そうゆうことは怪しいと言われがちだが、日本の、依存だけしていた仕事や肉的な欲望を失ったあとのお年寄りの姿をみると、一層そう思ってしまうことがある。
少なくとも、私は今の自分の生き方を選んできて、自分が生きて経験した中で悔いがない。自分が美しいと思う矛盾のない生き方をしたい。

それに、今は価値観が多様化し、多様性の尊重が叫ばれる中で、「価値観は人それぞれ」「多様性の時代だから」で済まされてしまうことも多いが、ありのままの治すべきところも治さずにただ生きているだけの人がいたら、人と人とは争い、問題は起こり続けるしかないだろう。聖書にある「人を殺すな」とか「争うな」とかはもちろん、恋愛関係で起こる問題とか、やっぱり善悪の区別は必要だと思う。神様は「聞いても聞かない人が多い」といつかおっしゃっていたが、人間は弱い。どんな師に学んでも、辛いからと変化しようとすることができなければ、世の中はどんな綺麗事を並べたって変わらない。今話題になってる性加害だって聖書を実践する人間としてはもってのほかだ。明確で共感するしかなかった善悪の区別は、私の中に元々あった信念(今の世の中で自分の意思で貫くのはよほど自信がないと難しかったと思う)を確固たるものへと強めてくれている。
神様は愛の塊なので、その方に学んだ信念があったならぶつかり合うことはなく、私は自分が何を信じるようになっても、人と人との間に境界はつくりたくない、と思うし、つくりえないなと思う。むしろどんな人のことも深く愛するようになった。


話は戻るが、仕事はあくまで人生の一つの要素なはず。
だけど、日本ではそれが人間の価値、評価基準みたいになっているな、と思う。

ただ、仕事は面白いし、資本主義社会でお金がなければ助けられない人も多いから、もっと伸ばしていきたい。先月は気付けば1日12時間くらい働いていたけど、中心に何があるのか?が大切なんだと思う。
私の中心にはいつも聖書から学んだ愛があるけれど、もし何もなくこんなに働いてたらただの社会の奴隷みたいだ。


そして、今、このタイミングで地元に戻る決断をした。人生の次の方向性が明確になったからだ。
地元に閉じこもって生きていくつもりはまったくない。むしろ、大きく広げるために、一番落ちつけて、自分の心に余裕を持つことのできる地元を中心に過ごしたいと思う。
大好きな家族との時間はめちゃくちゃ幸せなので、大切にしたいとも思う。

今の時代、インターネットがあればどこにいてもいいと思う。直接会いたい人ややりたいことがあれば、2時間後にでもすぐに飛んでいくつもりだ。
今の自分にとって必要なのは手段よりも、心の余裕。行きたくなれば、ふらっと海外とかにいっちゃうかもしれない。
それに大好きな子ども食堂や楽器演奏チームも結成してしまったので、東京には通わざる負えない。

時が来たならば、今までのものは手放して、
さっさと次の段階へ行く。(お世話になった人や大好きな人は本当にめちゃくちゃに大事にしたい!!)
過去への執着とか、躊躇みたいなのはまったくない。
たぶん、3年後には私は今と同じ強み能力を使いつつ、すべて全く違うことで収入を得ていると思う。そんなことはあまり重要ではないんだけど。

たとえ物質がない、どんな環境にいたとしても、どんな容姿だとしても美しく立っていられるような、そんな人間になっていきたい。

目に見えるものを中心に生きてきたところから
見えないものの大切さをより味わいながら、豊かに育てていく段階に。

そして、創りたい、というか、広げたい、ここにある愛が循環するうつくしい世界のために自分ができることに集中投資していく段階へ。
人生は本当に面白い。

自分の人生を極めていきます!

わ、長くなってました!読んでくださった方いたらありがとうございます!!

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