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オカマにSonが救えるか #エッセイ

弱者男性』という言葉をよく聞くようになって久しい。

他人をカースト付けしつつ心が傷まないという世論の冷たさ・傲慢さはさておき、カースト下位と定義されてしまった彼らは心の安らぎを求めている。

昨今、ゲイコミュニティ(特に女装界隈)はそんな弱者男性にとって一種のセーフティーネットの役割を果たしていると考えている。

ゲイコミュは年代を経る毎に純粋なゲイの世界から、男性社会から逃避した人が海に身投げする直前に足を止めさせてくれる波止場としての趣が徐々に濃くなってきた。

元々、

1.ゲイSEXの敷居の低さ
2.ゲイの自己肯定感の低さ


この2点からゲイ(生物学的男性と交尾する生物学的男性を今回は便宜上こう呼ぶ)には性依存症患者が極めて多い。

また、肉体関係(身体)から交友・恋愛関係(心)に至る独特なゲイ文化も自然とそうさせる趣を持つ。

男女のそれとは順序が逆転しているのがゲイの色恋という物なのだ。

そしてゲイコミュニティの運用自体がほぼそれを前提としてる。

そのSEXへの敷居の低く男が男を求め合うという特殊な文化から、近年はノンケがゲイバーや発展場に癒着するケースが増えてきた。

つまり、自己肯定感が底付きした弱者男性が性的に必要とされる事で自己肯定感を補填しようとする代償行動が流行しているのだ。

ゲイは『蓼食う虫も好き好き』。

GMPD、ガテン系、前髪系、狼系、若専、老け専、デブ専…etc

見た目や年齢ごとに多様な性的需要を持ち、それに即したセルフマーケティングが日夜行われている。

だから場所と相手を選べば、どこの誰にも全く相手にされないという事態はまず起こり得ない。

女装はゲイの中でもまた少しズレた位置にスペクトラム的に内包され、リアルの店舗数こそ圧倒的に少ないものの、ネットとの親和性が高い点・コスプレとしてまた別の需要が発生している点が噛み合い、ネットミームとして一大文化の地位を築くまでに至った。

風呂敷が大きくなった女装文化はノンケをも巻き込み、半ば市民権を得ていると言っても過言では無い。

中にはその煽りで発展場としての在り方は形骸化してしまったが、コンカフェ化した事で別の位地を獲得するに至った店舗すら存在する。

コロナ渦に見られた空前のノンケ女装ブームや、カマレズが流行り過ぎて経営難に陥る女装発展場などはその余波である。

純粋なゲイからすれば自分達が温めた椅子でノンケにデカい顔されるのは迷惑という意見も出ており、それは極めてごもっともなのだが…。

しかし、ゲイコミュニティはアングラだからこそああいう人達の心の拠り所になっている一面があると思う。

"表社会で生きづらい人のオアシス"という意味では、その姿はある種ゲイコミュニティ本来の原点回帰とも言えるかもしれない。

最近、LGBTの権利向上を理由にゲイコミュの中でも発展場やニューハーフヘルス、ウリ専といったグレーゾーンな産業に対してクリーン化が叫ばれているが、仮にそれが更に進めば行き場を失う人が出てくるだろう。

私はそれによって波止場から足を踏み外す男性が出る事態を少し懸念している。

人は弱い。清廉潔白な世界では生きていけない人も居ると、私は思う。

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