多汗症のこと


人より汗をかきやすいと感じたのは小学校の高学年あたりだった気がする。
思えば、小学校進学時にピアノの習い事では手が滑って思うように弾けないことを親とピアノの先生に相談したことがあった。これは手汗が原因だったのである。

私は全身多汗症である。手も足も脇も顔にも汗をかく。これにより、人生の難易度が100レベルくらい上がっていると感じることがある。
ちなみに手のレベルは放っておくと汗が垂れる程。重い方だと思われる。

多汗症とは、手の平、顔、脇、足の裏、頭部などの限られた部位で多量の汗が出る症状である。
多汗症の方は既にご存知だと思うが、多汗症はそこまで認知度が高くないにも関わらず日常生活にかなり支障をきたす、にも関わらず原因がよく分かっていない難病だ。

私自身、特に学生時代はものすごく苦労した。
体育では手を繋がなければならない場面があったり、ノートを書くときだったり、手を使うことであれば些細なことにも神経を使っていた気がする。

私の場合は、物心がついてから20年間程この病気と共に生きてきたが、いまだに自分の手の汗は気持ち悪いと感じてしまう。本当はこの気持ちに折り合いをつけていく必要があるのに、いつもどこかで「この病気でなければ……」と考えてしまうのである。多汗症でない人が羨ましい。人と手を繋ぐことは諦め、手を使う機会がありそうなことは自然と身を引くことが当たり前になっている。異性とデートをすることも、恋人ができることも、汗のせいで怖い。

“たかが汗くらい” そう思う人も多いかもしれない。しかし、そう思えないくらい、ほぼ暑い寒いに関わらず多量の汗が出る不快感に加え、他人からはこの汗のことをどう思われるのだろう、気付かれたくない・不快感を与えたくないという気持ちが常にあり、かつ自分自身ではコントロールが難しいことに何度も絶望感を味わってきた。

一方で、ある程度大人になった現在、多汗症で諦めたことも多いが、しかしながらそれ以外の要素で、箸にも棒にも引っかからなかったこともあるのではないかと考えることがある。多汗症のせいで…とつい思ってしまいがちであるが、人は思ってもみなかったところでハンディキャップを抱えている人はいて、例えば乗り物酔いがしやすかったり、何かを覚えるのが不得意であったり。持つ者は持たざる者のことが分からないと言われることがあるが、その通りなのである。私は乗り物酔いがそこまでない体質であるため特に気を重くせず乗車するが、激しく酔う人は必然的に注意を払うことが多くなるだろう。

実際、世の中は多汗症でない人の方が多数で、私が最も恐れる花火大会・お祭りなどに好きな人と行きたいと願う人が多くいるくらいである。(花火大会・お祭りは夏の屋外かつ人混みということで汗が尋常じゃないくらい出るのでなるべく避けたい。)

本音を言うと、やっぱりこの病気でなければもっと人生を謳歌できていたのではないかと思う。でも、この病気だからこそ、いろんな病気を抱えている人がいることを知り、人の痛みに寄り添うことができたのだとも思う。

多汗症のわたしは汗に対してマイナスなイメージしかないが、そうでない人は思ったよりも汗に対して寛容である気がする。こちらばかり気にしているとも受け取れ、あっけらかんといくのが一番なのかもしれない。(それが中々難しいのですけれど)

やっぱり1番大変なのは小中高だと思うので、もしこれを読んだ学生さんがいたら是非明るい気持ちでいてほしいと思う。絶対になんとかなるし、あなたは1人じゃない。気にしないでおこうと思っても気にしてしまうのは致し方ないことで、あなたの悩みが分かる人は近くにはそんなにいないかもしれないけど、どこかには必ずいます!!


5月末、汗がしんどい時期に突入してきたのでずっと書きたかったことをつらつらと書いてみました。

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