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【短編小説】#22 ミッシングリンク

私がアーニャとターニャに会いに行っていた長い長い夏の間、この短編小説集の各話のヘッダーが何者かに書き換えられていたことに気付いた。身に覚えのない女性の姿を模した画像は、あきらかに私が作成したものではない。不快でこそなかったものの、まるで私自身の姿であると誤解されてしまうのも問題があるので手元の元画像をポチポチと差し替え作業を行った。そしてかれこれもう21話も書いていたことに憂鬱を感じた。秋を感じることなくすでに暖かい冬が訪れている。

——これだけ書いてもなお、話は何も進んでいない。

この1件は私にとって見えざるを得ない「」の仕業であることを薄々感じているものの、その姿かたちはおろか、影さえも私の瞳に陰りを落とさない。

私というこの容器は「彼女」の遺伝子を受け継いでいることだけは揺るがない事実だが、ここに至るまでどんなご先祖さまが命をつないできてくれたかは知る由もなかった。歴史の文献に照らし合わせながら私の一番古い記憶を辿ってみると、海から陸へ生活の場所を変化させたあの時代だった。

私の耳には魚の鰓(エラ)の名残があるのだ。

生物は単細胞生物から魚類へ、魚類から両生類へ、そして両生類はやがて哺乳類へと進化を遂げた。私がこの世に誕生するまでの長い年月の間に哺乳類はもちろん両生類や魚類などのご先祖様も含まれているはずなのだが、それがあくまでも学者たちの理論であって、学者でさえも知らない事実や歴史が存在しているのかもしれない。

仮に長い進化の歴史をこの目で実際に見ることが出来るとすれば、時間軸さえも自由に移動できる未確認飛行物体という乗り物に同乗することくらいだろう。実は私には身に覚えのある体験があるのだが、残念ながら一番重要な記憶はさっぱりと消し去られてしまったようだ。しかしながら記憶は断片的につながっているはずだ。私はパズルのように複雑な頭の中の映像をつなぎ合わせてみると、あるひとつの光景が浮かんだ。

——海へ帰らなきゃ。

* * *

生命の輪は遺伝子という生命体の設計図に基づいて次の世代へと命をつないでいくものだ。似たような能力をもつもの、例えば超音波を発するイルカとコウモリや、血を栄養源とする蛭や蚊は同じ種類の生物ではない。私もまた「彼女」と同じ能力を持つのだが、姿かたちを比べてみると一ミリも同じ生物である確証がなかった。

私のその能力とは「人間の言葉以外で会話を行う」ことが可能なことだ。正確に表現するのであれば「人間以外の何か」の声が聞こえ、人間以外が発する声、つまり振動のようなものを体のどこかからか発することができるのだ。わたしは「」と出会った瞬間、彼の話している言葉が理解できたし、私の言葉で彼に伝えることもできた。それは決してテレパシーのようなオカルトなものではなく、物理的な手段を用いて意思疎通を行うことができる自覚があった。

それを周囲の人間に伝えることで何が起きるのか予想は出来ていた。だから私はひとり部屋にこもり、この世界に踏みとどまってきたのだ。私の周りではあきらかに普通でない出来事が多く起こりすぎている。もしかしたら私は小説の中の主人公なのではないかという錯覚とめまいすらも感じている。

* * *

生命の仕組みとして私の存在を子孫へ残すにはこの肉体から分裂した遺伝子を子に託すしかないことは理解している。ただ人類には「ある方法」で自分の意思を未来へ引き継ぐ方法も実在している。厳密に言えばそれは血のつながっていない里子のような関係かもしれないが、同じ人間であれば遺伝子の違いは誤差の範囲だ。つまり遺伝子は直接関連のない別の遺伝子へと伝播するミッシングリンクなる存在を私は信じているのだ。

私が海に帰ってしまうともしかしたら二度とこの世界に戻ってこれなくなるかもしれない。そうなると「」はこの世界を成仏できない霊のように彷徨い続けることになってしまう。どうか、この短編小説集に隠された難解なメッセージを読み解いて私の遺伝子を受け継いでくれる方が現れてくれることを望みます。どうか、どうか・・・

* * *

——数日後、部屋には瀬田蒼の姿はなかった。

タブレットには電池の残量が残りわずかの警告が表示されていた。


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