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子どもの巣立ち、その時私は・・・

石川県の石垣です。
わが家の末っ子・小6の息子が、自分で路線バスに乗って塾へ通い始めました。またひとつ、手が届かない世界へ息子を送り出した私が感じたことを書きたいと思います。

初めは、ほとんどバスに乗ったことがない息子と塾までの道のりを練習することから始めました。まずはバス停で路線と時刻表の見方を説明。そして、バスがやってくると、切符を取る乗り方、ICカードの使い方、運賃の見方や降車ボタンを押すことなどを一から伝えました。目をキラキラさせながら話を聞く息子は、このちょっとした冒険をウキウキと楽しんでいました。

通塾練習2回目には「覚えてるよ!」と息巻いて私の前を進みながらも、時々「あれ?どうだったっけ?」と後ろにいる私を振り返って確認する場面も。こうやって安全基地である親の元で勇気を取り戻しながら世界へを広げていくんだな…と感じながら、期待と不安が入り混じった気持ちで息子を見守りました。

3回目にはバスの乗り降りにも慣れて、道に迷わずに塾に到着。そんな息子の姿を間近で見て、成長を実感して嬉しくなりました。
正式に塾に通い始める頃には、すっかり自信をつけた息子。最近では「いってきま~す!」と大きな声で元気よく玄関を飛び出していきます。

そんな先日のこと。家を出る息子を見送りながら、これまでの練習の日々が思い出されて頼もしく感じつつも、寂しさを感じました。いずれ当然のように彼は親元を巣立っていくんだろうな…。その時、残される私は彼を掴む手をスッと放せるだろうか?そして、彼の後を追わずにその場に留まって背中を見送ることができるだろうか?そんな思いが、ふと湧いてきました。

あれ?でも、すでに巣立っていった娘にそんな不安は感じなかったな。あの頃はどうだった?と記憶を辿ってみると…。アメリカに行くことが決まった当時も、すんなり受け入れることができた私。最初は寂しい気持ちも少なからずありましたが、週末には気軽にビデオ通話ができるし、何より夢を叶えた娘を応援したい気持ちでいっぱいだったので、逆に私が心配を掛けないようにしようと思いました。
今振り返ると、私の中にあったのは娘への「任せても大丈夫」という信頼と安心感でした。そして、私には息子の子育てという「やること」があったので、意識しなくても自然と娘から子離れできたように思います。

一方、息子はというと…、マイペースで抜けも多い楽天的な末っ子で、まだまだ目が離せません。そして、いまだに「お母さんがいい!」、「お母さんと一緒にやりたい!」というママっ子。面倒に感じる時もありますが、求められる嬉しさもあります。
今は、つい必要とされていないアドバイスをしたり、難しそうなことは上手く行くようにお膳立てしたりと、過保護になりがちな私です。まだまだ任せきれないことも多い息子だけど、いつまでも腕の中で抱きしめている訳にはいきません…。

改めて、息子の巣立ちをイメージしてみて、ありたい未来は「自立した彼」と「子離れした私」です。子どもの人生はその子を信じて本人を任せ、私は自分の人生を楽しむ。私にとっての「子離れ」とは、子どもとは別の「自分の人生」を楽しみながら歩くことです。
未来の私は、人に囲まれて自分のやりたいことや好きなことをイキイキとしている。そして、時々わが家に帰ってくる子ども達と何気ない会話をして同じ時間を過ごしていたいです。

週末には友人と泊まりの小旅行が待っていて、夫と息子は実家へ帰省する予定。「本当に行っちゃうの?」と寂しそうに問いかける息子ですが、母のいない2日間を過ごして、また一回り大きく成長して帰ってくることでしょう。
「巣立ち」へ向かう息子に置いて行かれないように、「子離れ」へ向かって歩んでいきたい。そのために、息子のことはできるだけ彼自身に任せて、「自分の時間」を少しずつ増やして楽しみたい、そう感じている今日この頃です。

では、この辺で平沢さんにバトンをお渡しします。

2024年8月5日
石川県/石垣 恵美
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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