息子は息子のままで

この度、広島から日記をお届けすることになりました、來山(きたやま)美和子です。夫、大学4年の娘、高校3年の息子がおります。
どうぞよろしくお願いします。
我が家にも、なかなか発芽できなかった息子の「可能性の種」を芽吹かせるきっかけになったストーリーがありましたので、シェアさせていただきますね。

かつて私は息子の悪いところ探しをしては注意し、改善させようとする、過干渉な母親でした。それは、彼が自分の好きなことばかりを優先して、私が大切に思う「~すべきこと」を全く無視しているように思えたからでした。
「すべきこと」をさせないと、社会生活で困るのではないか、
人から嫌われるのではないか、いつか暴走していまうのではないかと、
とても心配でした。

でも、直そうとすればするほど息子は反発し、改善するどころか、成長と共に、心配事が増えていきました。彼の幸せな未来を願いながらも、そうはなっていない子育てをどうすればいいのかわからなくなって、悩んでいました。

そんな時、ハートフルコミュニケーションに出会いました。
そして、人が生まれながら持っている気質にはいろいろなタイプがあり、私と息子は全く違うタイプなのだと知りました。私が私の当たり前と思う「べきこと」をいくら息子に押し付けてもうまくいくはずがないことがすーっと腑に落ちました。

私は自分をニュートラルにして、よい・悪いという判断をせず、息子がどんな人なのかを振り返ったり、観察してみることにしました。 
そして彼の色々な面にあらためて気付きました。
彼は、わくわくどきどきするような楽しいことやスリル満点なことが大好きなこと。
自分だけでなく、みんなにも楽しくいてほしいこと。
人の意見を加味せず、自分がやりたいかどうかだけではっきりと「Yes」「No」が言えること。
いやなことを考えるのは苦手なこと。
やらなくてはいけないことでも、気が向かないことは、ぎりぎりまで始めないこと。
やると決めたり、やりたいことは、すぐに積極的に取り組むこと。
でも見切りも早く、他にやりたいことも次々探すこと。
リセットが上手なこと。とてもスピーディーなこと。などなど。
私がこれまで心配で彼をなおそうとしていたのは、私と彼の気質の違いからなのだということがあらためて理解できました。

でも、「そういう子なんだ。」と頭では理解できていても、初めのうちは、やっぱり、やらなければならないことを保留にしたままにしているのに、それでいい、とはなかなか思えない私がいました。
注意すべきなのではないか。いや、彼がやり始めるのを待とう。などと、今考えたらストーカーのように、彼のことがいつも気になっていたのですね。

その内、娘が彼女の仲のいい友達も彼と同じタイプだと教えてくれました。
彼女の話を聞いていると、そのお友達も息子と同じような、私にとっては欠点と思える面もありました。でも一方で、時代の最先端の情報を誰より早く察知して、興味を持ったら日本を縦横無尽に訪ねまわる彼女のなんとタフなこと。そして、自分で興味を持ったことの楽しさをお友達に面白く語れるウィットに富んだマシンガントーク術、まずい局面をするりとすり抜ける機転のよさ、彼女は息子と同じタイプを謳歌しているように感じられました。

そのお友達のお母さんに伺うと、
「もうね、しょうがないんよ。『そんなことをしたら、こんなことになるからやめといたら』って言ってみても結局はやるんだから。ひどい目に合わんとわからんのんよー。それでもなんとかなっとるんよねー」
どっしりと彼女のことを受け止めているようでした。
もしかしたら、私が行動を制限し過ぎることで、彼がそのタイプのよさを出す邪魔をしているのでは?と思うようになりました。

そう思えるようになると、前は「なんでそうなの!」とイライラしていたことも、不思議と段々怒らなくても、変えようとしなくてもすむようになりました。
そして、あまりに理解に苦しむようなときには「でたー!」と言いながら、「こういう時、お母さんならこういうふうに思うんだけど、どうしてそんなふうにしたの?」などと、彼を理解するように努めました。

すると、最初は恐る恐るでしたが、段々と、彼は自分の意見を言ってくれるようになりました。
また、予測のできない彼の行動にふりまわされていましたが、最近では、「お母さんは、こんなこと言うと嫌うんじゃろうねー」と言いながらも、これからしようとしていることを話してくれ、案外私が心配するような事態も想定していることがわかり、私が懸念することや許容範囲を予め話すことができて、私の心配や怒りも少なくなりました。
それどころか、私の重しがはずれて前より自由に過ごすようになったことで、彼は自分の興味を持ったことに果敢にチャレンジするようになりました。そして、あった出来事を面白おかしく話してくれるようになり、「ぎょっ、そんなことしたの?」ということも含め、その奇想天外な話を聞くのが、彼の成長とともに、家族の楽しみになりました。

彼はそのチャレンジから自分の強みをみつけたり、時に友達や学校社会との軋轢を経験したことで、私が押し付けていた「べき」さえも実践から学んで行くようになったのです。
私がどうこうしなくても、彼は彼のままで十分に成長していくことができるのです。

「彼のために~すべきを教えないといけない!」という使命感にも似た私の「べき」が彼も私をも苦しめていましたが、「べき」に囲まれて毎日を過ごしている私に彼は、「やりたいことを自由にすること」の素晴らしさや魅力を強烈に示してくれ、私に私自身を振り返り、これからどうしたいのかを考えるチャンスを与えてくれたのでした。

みなさま、今年も大変お世話になりました。
よい年をお迎えください。
そして、来年も泣き笑い日記をよろしくお願いいたします。

2018年12月31日
広島県/來山美和子 
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ





                                     


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