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心持ち違えば・・・

奈良の南村です。
“自分自身を大切にできる人は、同じように他人のことも大切にできる”とかつて読み、感銘を受けたことがあります。
心のベースのところで自分自身を認め、ありのままの自分を受け入れることができれば、子どもや周囲の人たちにも優しくいられるのだと思います。

とは言うものの、日々の暮らしの中にあっては気持ちに余裕がある時とそうでない時では、同じ事態に遭遇してもこんなに自分の心の反応って違うんだと、我ながら不思議に思うことがあります。
例えば、私の場合はこんな感じです。

うちの家族には、帰宅すると自分の荷物をそのまま玄関の上り口付近に放置する習慣の人がいます。私はそれが気になるので、今までに何度となく「やめてほしい」と伝えてはいますが、一向に変わる気配はありません。
私の気持ちに余裕がある時は、“もう、しょうがないなあ”、気になっている私が片付ければよいのか、と自ら荷物を移動させます。
少し余裕がなくなると…“もう、また置いてる〜” とイラッとし、そのまま見て見ぬふりでその場を通り過ぎます。
さらに、余裕がなくなると、足で蹴飛ばす勢いで通過する…って感じですかね。
同じ人間であるはずの私なのに、その時々の状況、気持ちでこんなにも感じ方に差があるなんて…本当に不思議です。

ということは?
私がいつも“あ〜、腹立つ〜”と感じているあの態度やあの言動も、こちらの心持ちが違えば感じ方が違ってくるのかも…?
そして、私と同じように、まわりの人たちもその時々の状況で感じ方って変わるのかも…。

では、「気持ちの余裕」って、自ら意識して生み出せるものなのでしょうか。

日常の自分を振り返ってみました。
私の場合、日々の生活の中で、怒りや焦り、不安にのみ込まれ気持ちに余裕がなくなると、
「とりあえずその事を考えないようにする」、「自分の中のB子(=もう一人の私)に愚痴ってみる」、「お茶かビールでも飲んでちょっと一息入れてリセットする」等、自然と自己防衛的になっていることに気がつきました。

これもまた人間の不思議です。
きっと誰にもちゃんと、気持ちの自然治癒力が備わっているのでしょう。
そしてその力を自らが信じ意識することで、心がぐっと軽くなる気がしています。
少しだけ「気持ちの余裕」ができたのかもしれません。

2018年9月10日
奈良県/南村友子 
NPO法人ハートフルコミュニケーション認定ハートフルコーチ


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