孤独に歩め
今回は人との繋がり。についての私見です。仲間は多いほうが良いですか?友達は大勢いますか?一人は寂しいですか?
お釈迦様はこう言っています。
孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。
オタクちゃんは知っているでしょう。攻殻機動隊の草薙少佐とバトーの台詞です。もとはお釈迦様の教えだったのですね。カッケー。
孤独とは
とはいえ一人で生きていませんよね。他者がいるから生きていけています。もっと言うと、生きているのではなく生かされています。有難い。
ここで言う孤独とは、望みを持たないとか、大それたことを望まないとかそういったニュアンスだと思います。大それたことを考えず、ただただ一人清く生きなさいという教えなのではないでしょうか。
選択した孤独
悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように生きる方は、周りが放っておきません。そのように人としての徳が高い方は、黙っていても人が集まってきます。もちろん、その上で孤独を選択することも可能です。
そう、選択が可能になります。否応なく孤独なのとは訳が違います。
実はお釈迦様、「悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。」の前にこう言っています。
愚かな者を道伴れとせぬこと。独り歩むほうがよい。孤独に歩め。悪をなさず。求めるところは少なく。林の中の象のように。
そう。愚かな者と共にいるより、孤独でも清く一人で信じる道を進めと説いています。昔から思っている事ですが、独りでも征ける人間は美しい。群れから離れる事の出来ない者にはそもそも選択肢など存在しないのです。
理想的なつながり
結論から言ってしまいます。
孤独に進む人間の繋がり。これが理想です。
再度お釈迦様から引用させて頂きます。
もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、こころ喜び、念(おも)いをおちつけて、ともに歩め。
しかし、もしも思慮深く聡明でまじめな生活をしている人を伴侶として共に歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また林の中の象のように、ひとり歩め。
愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独に歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中の象のように。
林の中の象のように、孤独に清く生きる。つまり自分で決めて自分で責任を取る人間です。そんな方は勝手に人が集まるようになります。仲間もすぐにできるでしょう。しかし、集まってきた人間、全てが思慮のある聡明な方ばかりでしょうか。共に歩むならば、お釈迦様の仰る通り愚かな者を道連れにすべきではないように思います。それも含め、ただ一人孤独に歩むのも悪くないのではないでしょうか。
とはいえ、孤独に清く進む人間には同じような人々が引き寄せられます。自分にも眼力がつきますし。だから心配せず、孤独に歩むのが良いのではないでしょうか。林の中の象のように。
孤独に、つまり自分の責任で生きる人間の集合体は何者にも媚びません。全て自分の責任ですから。また、独りででも前へ進める人間たちですから。助け合う事の威力も良く知っています。利己的な主張とも裏切りとも無縁。ただただ仲間の信頼に応えるために精一杯頑張ります。自然と、理想的な関係性が作り上げられていきます。漫然と飼いならされた群れではこうはいきません。
孤独であるいうのは全ての責任を負うという事でもあります。
一度でも孤独を選んでこなかった方は、全責任を負う経験をしたことがあるのでしょうか。また、今後その機会に恵まれる事はあるのでしょうか。はたしてそれは意志を持った人間と言えるのでしょうか。
今回はここまで。最後までお読み頂き有難うございました。
孤独で良いんじゃないかな。
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