もう生きていけないとか、生きてちゃいけないとか、思ったりしないの?

 みんな、なんで明日も生きていこうと思うの?

 これが好きだからとか推しのためにとかそういうのじゃなくて、
「自分が生きてちゃいけないってことはないよね」とか「多分生きていけないことはないだろう」とか、そう感じられる理由を知りたい。


 積極的な理由じゃなくて、消極的にならない理由を知りたい。


***

 最寄り駅にあるパン屋さんのシナモンロールがおいしい。

 色づいてきた新緑が真昼の光に照らされた時のあの景色がとっても好き。

 近所のゴールデンレトリバーと目で会話して、だれも見てない時はこっそり頭を撫でる。

 病院の駐車場で暮らしているらしい黒いつがいの野良猫を眺める朝。

 最近好きな服を着るのが楽しくなってきた。

 ちょっと気になる人がいる。

 いつか一人で焼き肉食べに行って豪遊するんだって決めてるけどまだできてない。

 来月の舞台のチケット発券してきた。


 好きなものは沢山あるし、それは確かにわたしにとっての生きたい理由のはずなのに。

 なにより大切なもの、色鮮やかなもの、大好きなものをつめこんだ「生きていたい」気持ちを手放したくなるくらい、生きていけないと思うことがある。


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 それはまるで自転車の二輪のような。


 前の車輪は生きていたい気持ち。
 やりたいこと、楽しいこと、好きなこと、積極性。

 多分そちらが目立ちやすいんだけど、もう1つ、後ろには「生きるのをやめなくていい」気持ちがあって。
 生きていけないことはないし、生きていちゃいけないわけでもないし、生きていくのを続けることに疑問を持たない。


 前の車輪が積極性なら、後ろの車輪は安定性。
 前の車輪が0をプラスにしていくものなら、後ろの車輪は0がマイナスにはならないようにするもの。


 もう死にたいとか、あるいは生きていたくないとか、そんな軸でしか考えられなくなる時、前の車輪を丈夫で立派なものにすることばかり考えていた。

 でも本当は前だけしっかりしててもバランスが悪くて、
後ろの車輪があってこそ、
別に得意なものないし特別な人間でもないし好きなものがあるわけでもないけど、居場所がないとも死のうとも思わないような安定性、それがあって初めて、ちゃんと自転車は進めるのかも、なんて。
(そもそも自転車って安定性の悪い乗り物らしいですね)




 だからわたしは知りたいと思う。


 街ですれ違うあの人もこの人も、みんな何かしらの憂鬱とコンプレックスと重荷を抱えているんじゃないかなと思うんだけど、
特別な日なんて年に数日で、残り340日は面白いこともラッキーな偶然もなかなか無く、それどころか青天の霹靂のような問題が降ってくることもあると思うんだけど、

それでもまぁ、死ななくていいって思える理由が。

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!