欲望を食べて肥大化する都会
都会に住んでる人って、コンビニやスタバで新商品が出たらとりあえず毎回買ったり、食事の準備が面倒だから外食をウーバーイーツしたり、ゴロゴロするためにわざわざホテルに泊まったりするよね。
ライフスタイルが欲望と接続されている感じがする。
ところでわたしの地元は田舎です。
限界集落というほどではないけれど、電車はラッシュ時以外は1時間に一本、コンビニは徒歩10分ほど、ウーバーイーツは対象範囲外である。
そこでの家族の生活は、スタバもミスドもドトールも無いから行かない、外食店もぽつぽつあるけど行くのは家族が集まったとか特別な日だけ、庭の畑で大量の野菜がとれるのでそんなに肉も食べない、チケット発券のためにコンビニまで車を走らせた時はスイーツや総菜を眺めてこんな食べ物があるんだねーと珍しがる、こんな感じである。
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大学でデザインの授業を受けた時に「デザインが大衆の欲望を刺激することで資本主義は発展した」という話を聞いたのがとても印象に残っています
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例えば自動車なんかそうですよね。目的地まで走ってくれればなんでもいいわけですが、ベンツとかポルシェとか「高級」というイメージを作って、それが欲しくてたまらないという欲望を大衆の心から引き出す。
スマホとかいわゆる映える見た目の食べ物とかもそうだよね。
(あとNHKの「世界はほしいモノであふれてる」って番組も、この欲望を刺激する構造をよく表してるタイトルだなと思う。)
その意味では、都会はありとあらゆるモノが集まっていて、大衆の欲望を刺激して消費させることで成り立っている場所のように感じます。
都会のくらしと田舎のくらし、どちらが偉いというものでもないんですが、田舎暮らしの感覚を少し取り戻したいと最近思っています。
欲望_それが内なる呼び声ならまだしも、外から誘発されて絶えず生み出されるもの、しかも永遠に満たされないもの_に振り回されるように生きるのは、それはそれで難しく空しいんです。
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そういえば、去年は中之条ビエンナーレ2023、今年は第8回横浜トリエンナーレに行ったんですよ。
どちらも街全体がアートになるイベントと紹介されていたのですが、行ってみると案外傾向が違っていて。
中之条ビエンナーレは、中之条という田舎の懐が深くて、テーマも主張もなくてもただそこにあるだけで全てがアートになるような気がした。
中之条は別に普通の町なんだけど。
一方で横浜トリエンナーレはテーマも作品の主張もはっきりしていて、説明文を読みつつ色々考えつつ見て回るような展示会だった。
横浜も勿論歴史のある素敵な町なんだけど、都会ゆえに土着のものが薄れていて、沢山の文字で説明しないとこの町とアートが結びつかないのだろうかと思ったりした。
都会は確かにモノであふれてるけど、田舎には土着というお金で買えないかけがえのないものがあるんでしょうね。
そう思うと、都会人がコンビニでパック詰めされた煮物を買ったり、おむすび専門店でわざわざおむすびを買ったりするのは、欲望を介して田舎を疑似的に摂取する構造なのかもと感じる。
ここまで読んでくれたあなたがだいすき!