お金をもらうという形で社会と関わること

 いろんな社会との関わり方はある、働いている人だけが「社会人」と言われるのはおかしい、という意見ももっともだけど、

それでもやはり、お金をもらうという形での社会での関わりは他の関わり方と比べて格段に重い責任があって、非常に難しいものだと感じる。



 「働きたくない」「仕事無理」みたいなことを言うとちゃんとした大人ではないと思われそうだけど、
わたしはもう、いやぁ本当にそうだよね~~~~~!!!という気持ち、本当に首がもげるほど同意、この働くのつらいという感覚がしっかりと腹落ちして心からよく分かります。


 でも普通の人達は当たり前のように働いていて、また生活のためのお金を得るために働かないと一般的な生活ができない仕様になっている。

 正直信じられないんです。
 こんなに難しい、普通にしていたらクリアできないことが、「普通の人」の必須項目に入っているなんて。


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 どうしてこんなに仕事は難しんだろう。

 普通にこなしているように見える周りの人も実は自分と同じくらい責任を抱えてつらい思いをしているのだとしたら、そんなつらさがデフォルトで装備されている人生はこちらからお断りしたい。



 でも、誰かの仕事のおかげでわたしは生きているのに、わたしがその大きな「貢献」に参加できていないことが、なんだかとてもつらいような、生きていく上での必須要件を満たしていなくて危機感を覚えないといけないような気持ちになる。



 自分には何かが足りない、あるいはどこか人生の前提認識が違っているのではと思うこともある。
 そこのズレが調整できれば案外うまくやれるのだろうかと思うこともある。


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 昨日ふと「どうしようもないわたしが歩いてゐる」という山頭火の詩をお思い出した。

 喜びを詠ったような詩ではないんだけど、この詩に心を打たれた時の瑞々しい生の実感を思い出した。


 仕事をしていると、義務と意義と締め切りに囚われてしまう。
 人生が「やらなくてはいけないもの」「一定の合格基準を満たし続けないといけないもの」に変わってしまう。



 「働くことだけが社会と関わる方法ではない」と思っていいのだろうか。


ここまで読んでくれたあなたがだいすき!