楽しいことばかりではない、でも苦しむために生まれてきたわけでもない
時々なんらかに尋ねたくなる。
「わたしはもっと頑張らないといけないですか?
他の人はもっと頑張っていますか?
わたしは今、頑張らないといけない水準までちゃんと頑張れていますか?」
頑張り続けて、楽しい時間を小さくして、我慢し続けて、自分が存在していい居場所を買っているつもりだった。
わたしの問いはこう続く。
「でも、他の人はもっと頑張っていて、一般的な水準から見てわたしの頑張りが及第点に及んでいなくて、結果もっと頑張らないといけないのだとしても、
わたし、今までずっとずっと頑張ってきたんです。
頑張り続けるのは、息が上手く吸えなくて、肩にいつも力が入ってて、こころが削れてすり減っていくみたいだった。
こころが削れていくのは痛かった。
わたしもうそろそろ、こころを削る以外の生き方を探してみたいんです。」
何度も尋ね続けて、でもわたしの中では既に答えの出ている問い。
人生は楽しいことばかりじゃないし、好きなこと”だけ”して生きていくのは難しい。
でも苦しむために生まれてきたわけでもないから。
「楽しいことばかりじゃない」が「苦しまないといけない」に変換されて、「苦しめば報われる」に歪んだから、わたしはこころをすり減らすことで救われると信じていたけれど、残ったのは不確実な居場所と疲弊したからだだけ。
だって、わたしはこころを削るだけで、救われようとも楽しいことをしようともしていなかったから。
人生は楽しいことばかりじゃないし、好きなこと”だけ”して生きていくのは難しい。
だから、楽しいこととか、好きなこととか、こころがどうにも惹かれるものに焦点を当てて生きていく。
こころが惹かれる場所へ向かうために、多分苦しいことも難しい障害もあるんでしょう。だって人生は楽しいことばかりじゃないから。
でも、だからこそ、
こころが惹かれるものに焦点を置いて、こころ惹かれるもののために苦しいあれこれを踏みしめていく。
苦しむために苦しむんじゃなくて、こころ惹かれるもののためにあれこれの障害をこなしていく。
こころ惹かれるもののために生きてみたい。
わたしはわたしのこころを満たして、もういたずらに削ったりしない。
ここまで読んでくれたあなたがだいすき!