2024年8月22日(木) メメント・モリ 

 ふるさとや家族が恋しくなったとき、小さいわたしが36歳くらいのお母さんが抱っこされているのを想像する。
 そこには今2歳の猫もいて、5年前に亡くなった犬もいる。

 動物たちのふわふわの体に触れて、お母さんの腕に抱かれて、大人になってからしばらく感じたことのないような安心感に包まれる。


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 去年は上の世代の人が体調を崩したり亡くなったりすることが多かった。

 祖父は93歳と高齢だったのでまだ受け入れられたけど、優しかったおじさんに認知症の兆候が出てきて同い年のいとこが付き添っていたり、母と同年代の親戚ががんになったり(幸い初期で対処できたとのこと)、知り合いじゃないけどBUCK-TICKのあっちゃんもTHE FIRST SLAM DUNKでOP歌ってたチバユウスケも亡くなった。

 それでようやく、今のところ両親が元気でいるのは当たり前じゃないこと、そして、人間というのは本当に死んでしまうのだということが、形のない重たい実感として感じられるようになった。
 今まで死ぬということがどういうことなのかも知らなかった。

(そういえば、去年カウンセリングで「今のところ心は安定しているけど、それは例えば両親が健康とかとりあえず安定した収入があるとか、自分では自覚していない生活の支えがあるからかもしれない。そういったものが急に崩れた時どれだけ心が乱れるかわからない。」と話していた気がする。)



 だから最近は、みんないつかは死んでしまうという思いが心にずっとある。

 例えば猫は、今はまだ小さいけど確実にわたしより早く死んでしまう。
 そしてその時、両親は何歳になっているだろうか。元気でいるのか、あるいは何かしらの持病を抱えていたり介護が必要になったりしてもおかしくない。

 今みんなが健康であること、今同じ時間を過ごしていることが、こんなにもかけがえのないことだなんて今まで知らなかった。


 「今」が当たり前じゃないと思うようになった時、自分が認められたい、世界に対して唯一無二のものとして存在したいという気持ちが遠くへ離れていった。
 自分ひとりの常識の中で勲章を手に入れても、それは自己満足みたいなものだから。だったらもっと、世界に寄り添いながらなんでもないけどかけがえのない時間を過ごしたいと思った。


 そんな思いを抱えながら、永遠に生きるかのように働く社会へ出ていくのはつらいけれど、わたしは確かにお母さんの腕の温かさと動物たちのやわらかさを覚えている。

ここまで読んでくれたあなたがだいすき!