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「青春なんて馬鹿みたい」を捨てて、中身の凍った肉まんを食べた夜明け前の話

 こんにちは、HeaR株式会社で人事をしている、田島彩名です。今回は、noteのハッシュタグ #部活の思い出 に参加します。元はと言えば、弊社のマーケターである半田が、「HeaRといえば青春。部活といえば青春。みんなでこのハッシュタグ企画乗っかりましょう!」と巻き込んでくれたのがきっかけです。じゃあ私も書きますぅ、と伝えたのはいいものの、一体何を書こうやら。

 なぜなら私、正真正銘、「青春なんて馬鹿みたい」って言ってましたから、学生時代。でもちゃんと書きたいと思ったので書きます。以下、丁寧語抜き、語り口調につきご了承くださいませ。

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 去年の年末だっただろうか、前職で仲の良かったお姉さんと2人でお酒を飲んだ。彼女から電話がかかってきて、まあ何かと思えば、「好きな男性に告白したもののはぐらかされた」らしい。おうおう告白したんだな君にしては頑張ったじゃないかと電話口で伝えると、今から会いたいと言われたので飛んで行った。全くこれじゃあ私が彼氏みたいだな、と自分で少し笑ってしまった。

 結局その日は朝まで飲んで管を巻き、お店の人に「もう始発があるぞ帰れ」といわれたのが朝の4時。残念ながら総武線の始発は4時半で、私たちは30分ばかりの暇を持て余した。とにかく寒い日だったので、逃げこむようにコンビニに入って、温かい飲み物を手に取る。レジ前で「肉まん食べたい!」とお姉さんがいうので、私は肉まんをふたつ注文した。

 「これ、入れたばっかりでまだ温まってないんですよ」と、店員さんは困った顔。「あ、いや、大丈夫ですよ」と、なぜか酔っ払っていた私はそういった。「お客様、これ、中身、凍ってますよ」「大丈夫です、凍ったまま食べます、すみません無理言って」。無理やり店員さんに肉まんをふたつ出してもらった。ほんのり温かい。夜明け前、冷たい空気の中で、少しだけ温かい肉まんにかぶりつく。お姉さんと私は同時に吹き出した。「中、凍ってるじゃん!」「さむーい!」「馬鹿じゃん?」

 なぜか笑いが止まらなかった。アイスみたいになった肉まんを2人でかじり、始発の電車を待つ間、”あ、なんか私、この感じを一生忘れないだろうなあ”とぼんやりおもった。正直、すごく青春っぽい一瞬だった。朝四時、友達、凍った肉まん。駅の向こうの空が少しだけ白み始めている。「なんか、部活帰りの高校生みたいだよね、今早朝だけど」とお姉さんに言われ、私はふっと首を傾げた。私には部活の思い出なんて、正直ひとつもなかったなあと。そう思ってにわかに寂しくなった。

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 私の出身中学高校は一貫、ミッション系の女子校。蝶よ花よと育てられたお嬢様たちが中学1年から高校2年までの5年間を多かれ少なかれ部活のために注いでいた。周りが大切に育てられてきたお嬢様なばかりで、すでになぜか色々なものに対して冷めていた私は、最初の1年は帰宅部だった。仲の良かった女の子の誘いで中学2年で入ったのは聖歌隊。簡単にいえば、讃美歌専門の合唱部。そこからは、なんだかんだと聖歌隊の練習に精を出した。

 夏休みもほとんど返上だったし、放課後も基本的に練習に出ていた。今思えばびっくりする、朝5時半に起きて、6時10分に家を出て、7時20分に学校についてそこから8時15分まで朝練。お昼休みは20分間の昼練。16:00から18:00まで放課後練。自分の体力に驚かされる。それでも毎日、なんだかんだで練習に通っていたし、歌うのは好きだったから苦痛ではなかった。

 私たち聖歌隊の隊員たちは、よく帰り道で歌った。ラテン語やイタリア語の歌を4声にわけ、華やかに、荘厳に、夕暮れの帰り道に歌を響き渡らせた。当時、人並みに先輩たちは神々しく見えていたし、同期たちとの交流もしていた。でもなんだか、「頑張ったり」「チーム一丸になったり」するのって馬鹿らしいな、と心のどこかで思っていた。私は私が好きなように歌いたかったし、集団行動も嫌いだった。

 確か中学三年の夏、聖歌隊はコンクールに出場した。地区予選で結果は金賞。でもなぜか、東日本大会に進むことはできず、地区予選敗退。いってしまえば”ダメ金”。同期たちはみんな、白いローブの袖口で目元を抑え、声を上げて泣いていた。泣くようなタイプじゃない女の子たちは、唇を噛んで下を向いていた。

 私は、1人でけろりとしていた。全然何も感じなかった。何も感じていない私を、同期たちは責めた。責められれば責められるほど、私の心は静かに冷えていった。

 この時以降、部活の記憶がほとんどない。楽しかったこともあるんだと思うけれど、多分、練習にほとんど行かなかったんだと思う。ずっと音楽はやっていて、申し訳ないけれど練習なんて行かなくても歌うことはできた。「なんで部活ちゃんと来ないの?」と同期の子に怒られるたび、「いいじゃん歌えるんだから」と思っていた。『熱くなっちゃって馬鹿みたい、あーあー青春ですね、ステキステキ。まあ、私はそういうの、興味ないけど』――今思えば究極に嫌な奴、思っているだけならいいものの、間違いなく態度に出ていた。出していた。だから同期との距離はどんどんあいていった。今はもう、ほとんど交流もない。

 だから、引退した時も「頑張って良かったな」とか、「成し遂げたな」なんて思いは一つもなかったし、部活の思い出は本当に、苦々しいものとして今でも残っている。残ったものといえば、ほんの少し読めるようになったラテン語とお祈りの言葉くらい。

 いまでもチクチク胸が痛む。聖歌隊の子達のあつまりをインスタグラムで見かけるたび、「私には得られなかったもの」がそこに転がっている気がして苦しい。でも、自業自得。そのことはもう、とうに受け入れている。

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 当時、わたしを取り巻いていた部活以外の環境は実はいろいろ複雑で、いわゆる心理的安全性みたいなものがないまま暮らしていた。だから当時「仲間との繋がり」みたいなものを楽しむ余裕なんてなかった、のだと思う、今思えば。スタートダッシュも遅かったし、中途半端に音楽が得意だったおかげでたくさんの逃げ道があった。何に没頭することもなく、のらりくらりとしているうちに終わってしまった私の青春の6年間。

 いま私がその時に戻れたらどうするだろう。凍った肉まんをかじりながら私はそんなことを考えていた。お姉さんがいった。

「私さ、高校も中途半端だったし、部活とかやりきったことなんてないし、だからこういう青春っぽいことした思い出が全然ないんだよね」

 なんとなく部活のことを思い出していた私は、別になんということもない口調で答えた。

「そっか。それでいうなら、私もだよ。部活帰りに買い食いした思い出みたいなのも、全然ないし」
「でもさ、別に、大人になってこういう、”部活帰り”みたいな感じをやってもいいんだよね、わたしたち」
「いいでしょ、当たり前でしょ」

 口の中で、凍っていたはずの肉まんのお肉の油が溶け出していた。なんだかちょっと、泣きそうだった。私は本当はこういうこと、したかったんだな。

 部活、真剣にやってみたかった。仲間と喜怒哀楽むき出してぶつかってみたかった。東北大会行けなくて号泣したかった。帰り道にみんなで買い食いしたかった。引退式ではしゃぎたかった。怒られたり怒ったりを何回も繰り返してみたかった。

 なんで馬鹿にしていたんだろう。何が私にそうさせていたんだろう。正直、振り返ってみても、いまはもうわからない。でも、時間は戻らないし、私はもう中高生と混じって部活をすることはできない。

 だから、これからの人生の”青春”にかけていくしかない。大人だって、働きながら青春したっていいじゃん。失ったものは取り返せないけれど、これからの人生を、「青春」とか「全力」とかで満たしていってもいいはず。私はもう、素直に、「青春」みたいなのに憧れていたことを認めてしまおうと思った。

 4時20分、始発まであと3分。寒い寒いと言いながら最後の一口を食べ終わって、私たちは立ち上がった。たぶんそろそろ夜が開ける。

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 読んでいただいてありがとうございました。私のいまいる会社HeaRは、「働いて青春する大人を増やす」を目標に掲げてお仕事をしています。まずは私たちが青春してないと青春な大人は増やせないよね!ということで、今は毎日、「自分は青春しているのか?」と向き合う日々。

 私はいま、自分が学生時代してこなかった「青春」を、大人になって取り戻そうとしています。会社は真剣でありながら、部活みたいな雰囲気もあり、プロサッカーチームのようでもあり。毎日談笑する社員をみながら、「こういうの、いいよな」と穏やかな気持ちで青春の風景を眺めています。

 働いて青春しよう。これから実現していきます。恥ずかしがらずに青春していくので、どうか応援してください。



 

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