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【HEAR公式シナリオ】無間の市を往く男【ミタヒツヒト@超水道】

ひあひあ~!
「声で”好き”を発信したい人」のための音声投稿サイト、HEAR(ヒアー)公式です。

この記事は、音声投稿サイトHEAR限定で使用できるシナリオ台本です。
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シナリオ作者: ミタヒツヒト(超水道) https://twitter.com/hitsuhito
シナリオ引用元: HEAR公式シナリオ https://note.com/hear/n/n1d885cd66812

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▷していいこと・いけないこと
【◎いいこと】
・1人向けのシナリオを複数人で読んでも構いません。
・複数人向けのシナリオを1人で読んでも構いません。
・シナリオの途中までや一部を抜粋して使用することも可能です。
・物語に合ったBGMや効果音を付けることは大歓迎です。
【×いけないこと】
・シナリオ内の表現や設定を改変することは一切禁止です。
・HEARに投稿することを目的とした練習などで使用する場合以外のシナリオの転載、再配布は禁止です。

以上を守っていただければ、HEARで自由に使っていただいて構いません。

『無間の市を往く男』本文

ここは、どこなのだろう。
男はもう何度抱いたかわからない問いを、またもう一度、胸の中で反芻しました。
決して広くはない一本道にひしめく、数多の露店。道は舗装がされておらず、むき出しの土のままです。
そして、その間を行き交う人々。
ぽつぽつと立つ白色灯の明かりと、それぞれの露店のランプの灯りに照らされて、雑踏はまるで一つの川のようにゆっくりと流れてゆきます。
空にはひとつの星もなく、今にも地上に垂れてきそうなどろりとした黒がただそこにあるだけ。
立ちこめる空気はひどく湿気を帯びて、風の一つも吹かないために、全身にじんわりと汗が滲みます。
よどんだ空気の中に漂うのは、嗅ぎ慣れない、甘く重たい独特の香辛料の芳香。男にとって快い匂いではありませんでしたが、しかしこの匂いから逃れるすべはなく、この不快な芳香は男の肺臓を満たし続けているのでした。
道行く人々に目をやれば、皆、長く伸ばした髪を様々な形に結い、そして、男の着ているシャツとズボン、そしてコートよりも幾分ゆったりとした印象の、原色のきつい薄手の着物を纏っています。
それらの着物にはどれも金色の糸の刺繍が一面に施されていて、それが市場の明かりを不規則に、ぎら、ぎら、と反射し、男の目を眩まし続けていました。
知らない場所。知らない雑踏。
そんな中を、男は歩き続けていました。
私は、なぜ歩いているのだろう。
その問いも答えてくれる者はおりません。
雑踏に響く言葉のひとつとして、男の耳慣れた言葉ではありません。誰かを呼び止めここはどこかと尋ねても、そのうち一言でも解することは、男にはできませんでした。
言葉だけではありません。
男が知る人間の肌は、まるで継ぎ目のない一枚のうろこのようなつるりとした光沢を帯びていたでしょうか。皆揃って、目の虹彩にいくつもの色を持っていたでしょうか。
男には、この場所を行き交う人々が、どうも自分とは違うものであるような気がしてなりませんでした。が、もちろん、彼らが何であるかなど、想像だにできませんでした。
男は、これだけは確かだと言うように、ぽろりとつぶやきました。
「ここは、夜市だ」
この夜市を、男は何日と歩き通しておりました。
男は時計を身に付けていませんでしたから、これはあくまでも男の感覚でしかありませんでした。が、男は、
「この夜市に朝は無いのだ」
そう結論づけていました。
それどころかこの夜市には、出口もありません。ただ一本の道が続くだけで、脇に逸れて外れることも、また別の通りに移動することもできません。ただただ続く夜市以外、何もないのです。
男は疲れた足を引きずりながら、ただ雑踏に沿って歩き続けていました。
男は、羽織っているコートのポケットに手を差し入れます。ポケットの中で、男は角砂糖を三つ、探り当てると、それを口に運び、飢えを束の間、癒やすのでした。
贅沢を言えば水も欲しい気持ちが男にはありましたが、どういうわけか、体の水分を失って具合を悪くするようなことは、一度も起きていませんでした。
角砂糖を口の中ですっかり溶かし終えた男は、またふたたびコートのポケットに手を差し入れます。
「まだ、三つある」
男のコートのポケットには、いつでも角砂糖が三つ、入っていました。その三つはそれ以上に増えることも減ることもなく、ずっとそこにあります。
この暑い夜市で男がコートを脱ぎ捨てないのは、こういった理由からなのでした。
もちろん、男にはその理由がわかりません。そのコートをどこで手に入れたのかも、自分が何者であったのかも、ひどくあいまいでした。
男が、息を一つ吐いたそのとき、男の耳が、かすかにその「声」をとらえました。


「お客さん! 寄ってってよ!」


あまりにも懐かしい、ふるさとの言葉。聞き違いではない、と男は確信していました。
ささやかな希望は砂糖よりも甘く男の心に染み込み、声の主を探します。


「お、反応したね、おーおー」
「あなたが、その、言葉を、どうして」


声の主は、どうやら茶を出す屋台の店主のようでした。
茶を飲むための細長い木製の飲食台と、座るための椅子があるだけの、簡素な作りです。
しかしその姿は、男が知る人間のそれとはやはり違う、夜市の住人のそれと同じです。
それでも、他の者に比べれば髪型はかなり簡素なうえ、服の刺繍も控えめで、男はこの人物に、幾分か親しみやすい印象を抱きました。


「なあに、俺は色んな言葉の学習が趣味なだけさ。知らない言葉を喋るやつがいたら習うんだ。ささやかな趣味ってやつかね」
「それはまあ、そう、かもしれない、が」
「まあ寄って行ったらどうだ。一杯は店の驕りだ。喉が渇いているだろう? 俺はそういうやつがわかるんだ」


男は古びた茶瓶を取り出すと、湯気を立てる深い緑色の液体を、陶器の器に注ぎます。
男はためらいましたが、胸の奥から喉を潤すことへの渇望が耐えがたいほどにわき上がってきて、思わず口をつけました。


「おいしい、これはいい飲み物だ。名前は何と?」
「あんたには発音できないさ。気に入ったようでよかった。熱いから気を付けて飲みなよ」
「感謝の言葉もありません」


男がふうふうと茶を冷ましながら飲む間、店主は自らも茶を注ぎ、どこかから取り出した茶菓子をつまみながら、その様子を眺めておりました。
茶を飲み終え、人心地ついた男は、すっかり忘れていた問いを、店主に投げかけます。


「ここは、どこなのでしょうか。私は、いつの間にかここに来ていて、でも、なぜここにいるのか……ずっと歩いていたんだ」
「ここは、夜市さ」
「それは見れば見当がつきます。つまり、何のために、いや、もっと、具体的なことを」
「夜市だって分かっていれば十分さ。俺も最初からここにはいなかった。でもある時来た。俺には茶という売り物があった。だからここで店を構えて、ここで売っている」
店主はそう言って、古びた茶瓶に目をやり、そして男にその斜視気味の目線を戻して続けます。
「ここに来るやつはみんな売りもんがある。それを活かして商売をしているのさ。あんたにもきっと、何か、あるだろう」
この店主も、男が知りたいことを知っているわけではないようでした。
落胆と、それでも言葉の通じる者を見つけた安堵。その二つの気持ちの合間で、男は空になった茶の器の底を見つめました。
もう一杯、この茶を飲めば、気持ちが少し快い方に転がるかも知れない。そう思いました。
「ご店主」
「なんだい」
「もう一杯、この茶を頂けないでしょうか」
「それは困るな。おかわりまで店のおごりというわけにはいかねえよ」
「そうですか。では、これならどうでしょうか」
男はポケットから角砂糖を取り出し、飲食台の上に載せました。
「何だい、これは」
「角砂糖です。今しがた、ご店主が切らした茶菓子の代わりにいかがでしょう」
「一つで一杯と交換か?」
「いえ、三つ差し上げましょう」
「ふむ、」


店主は考え込むような表情を見せてみましたが、その唇の端は緩んでいて、このやりとりをただ楽しんでいるのだと、男は内心、察するのでした。
しばらくして、


「いいだろう、お客さんは商売上手だなあ」
「そうか、あなたが言うのならそうなんだろう」


男の器にまた新しく茶が注がれ、男はまた茶に口をつけます。交渉がうまくまとまった高揚と相まって、疲労で青ざめていた男の顔色にも血の気が差し始めます。
しかしすぐに、男の顔色は元のように、それどころか、以前よりも一層青ざめてゆきます。


「どうしたんだい、お客さん」


角砂糖を味わっていた店主も、男のただならぬ様子に、思わず声をかけます。


「思い出したんだ」
「何を思い出したって言うんだい」
「私は……商人だった。それを、思い出した」
「なんてことだ。先輩だったかい。でもなんだってそんな顔をしてるんだ。思い出せないよりはいいじゃないか」
「私は、人を売ったんだ……やむを得なかった。嫌だった。現に、一度だけだ。人を売ったのは。私のちっぽけな感情よりも強い力があった。そうせざるを得なかった」


男の額には、いつの間にか珠のような汗が浮いて、そしていつしか、ぽたり、と飲食台に落ちて、濃い褐色の染みをつくります。


「これは、酬いなのか? 罪に対して相応の罰が下ったのだとしたら、あの子供は——この夜市のどこかで売られているとは、そうは考えられないだろうか?」
「確かに、ここじゃ何だって売られてるって聞くがね。それでなんだい、あんたがその子供を見つけたら、元の所に帰れるって言うつもりなのかい」
「それは……わかりません。きっとここからは決して帰れないのでしょうね。でも、私はやらなければならない気がする。ここで、あの子を探し当てて、解放しなければ、私は」
「お客さん……」


店主の困惑をよそに、男は椅子から、少しふらつきながらも、すぐに両の足で地面をしっかりととらえて立ち上がります。
男は、自分の内側に気力が幾分か取り戻されていることを確かめました。
それは、座って足を休めることができたからでも、水分を補給できたからでもなく、店主との会話と、その内容が男に活力をもたらしたのだと、男は強く信じてやみませんでした。


「この夜市を歩き続ければ、行き会うことができるかも知れない。その子か、あるいは、この夜市を牛耳る何かに会えるかも知れない。その時は、私が商人として培った全ての力をもって、あの子を自由にしなくてはなりません」
「あんたは、本当にそれでいいって思うのかい? 角砂糖売りにはならないってことだな? あてもなくさまよい続けるなんて、どうしてそんな道を選べる?」
「じっと一箇所で自分の罪に苛まれ続ける方がよっぽどましだと、あなたは思うのですか?」
「俺にはわからないね。少なくとも、俺には選べなかった道だな」
「そうですか。私は行きます。お茶、おいしかった、ありがとう」


男の足取りは速く、ずっと歩き通しで、今しがたほんの少し休憩しただけとは思えないほどでした。
だから、店主が飲食台を回り込んで男の背中に声をかけようとした時にはもう、男の姿はごったがえす人の波の彼方に消え失せていました。


「その子供もとっくに逃げ出しちまって、同じようにこの市場をさまよってるかもしれねえですよ、お客さん」
蒸すような熱気の渦巻く雑踏を眺めながら、塗りつぶしたように黒い空の下、どこまでも続く夜市のちっぽけな屋台の前で、店主はぽつりとつぶやくのでした。

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