言い方ひとつでまったく違う

姉がまだ赤ちゃんの頃、雑誌のたまごクラブを買うと、スリーパー(赤ちゃん用着る毛布みたいなの)が付録として一枚ついてきた。
しかし、それがマジックテープで止めるようになっていて、赤ちゃんが少しでも動くようになるとすぐに外れてしまい、我が家ではスリーパーとして使えなかった。

それを懲りずに先日、双子兄に着せてみたのだけど、やっぱり外れて脱げてしまう。

ダメだ、こりゃ。新しいのを買おうかなと一瞬思ったけど、「マジックテープを外して、スナップボタンをつければきちんと止まるのでは?」とふと思った。

不器用なのに、作りたがりな私。100均でスナップボタンを買ってきて、すぐに付け替えてみた。
作業は単調だったけど、4箇所付け替えるのにめちゃくちゃ時間がかかってしまった。その日の夕食を作る時間帯に差し掛かってしまい、夕食は手抜きメニューに。
それでも、まあ完成したから良かった!と喜んだのも束の間……、実際に着せてみる時になって気づいたのだけど、2箇所ボタンの裏表を反対につけてしまいボタンが止められない。

「うそー! あんなに時間かかったのに」とうなだれる私に、夫は一言。「まあ、そうやって(手芸に)慣れていくんやろうな」
夫の言葉は差し障りのないものだったと思う。でも、私は目からうろこだった。

なぜなら、結婚するまではこういう時、決まって実父に怒られていたから。
例えばこの場合、実際には父に言うと怒られるとわかっているので言わないけど、もし言ったりバレたりしたら……
「何してんねん、アホか」
「ちゃんと確認せえへんから、こうなるんや。完成するまでわからんかったんか」
「お前はボタンつけるのすらまともにできへん。どうしようもないな、ホンマ」
なんて言われてたと思う。

そして、言い方は最低だけど、「完成するまでわからなかったのはちゃんと確認しないから」なんて、的を得ていて正論だ。発言の内容は至極まっとうで、だから、「アホ」とか「どうしようもない」の部分まで「そうだよね、その通りだよね」になってしまう。

結婚してもう何年も経つ今だって、失敗するととりあえず身構える。怒られる、くるって。
しかし、夫の言葉はそうではないから、「あれ?」ってなる。「えっ、なんで怒らないの?」「私はボタンつけるのすらまともにできない、どうしようもない人間なのに」って、すでにもう先回りして自分で思っている。夕食も手抜きメニューになったしね、そこも自分で引っかかっているわけで。

……刷り込みって恐ろしいな。だから、私は自己肯定感が極端に低いんだろうな。
本当に言い方ひとつで全然違うんだなって、結婚して何か失敗する度に思う。

それはもちろん、私が子どもに接する時も同じで、我が子に私のような思いをさせたくないと、とにかく人格否定する言葉は使わないように気をつけている。もし言ってしまったと後で気づいたらすぐ謝る。
そして、私は親に褒められた記憶がほとんどないので、いいところを見つけたら過剰なくらい褒めている。

それくらいでちょうどいい。なぜなら、こんなに実父を反面教師にしようとしているのに、我が子に苛立ちを覚えたら、大変沸点が低く、すぐにカッとなって怒ってしまうから。それはやっぱり実父に似ている。自分でもほとほと嫌になるけど。

子どもに対してはもちろん、夫にも周りの人たちにも――もっと相手を思いやる言い方をしたい。何しろ、夫に「言い方がおかしい」と時々言われているので……。
それが私の今の目標だ。

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