感染症危機管理に関する所感2
参議院内閣委員会、内閣法(内閣感染症危機管理統括庁の設置)と新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正法案審議で参考人として意見を述べさせていただきました。全文掲載します(一部事後編集)。
この度、内閣感染症危機管理統括庁の設置にかかる法案審議、ということですが、まさにこの感染症分野の危機管理体制の向上に向けて、我が国の重要なターニングポイントになるものと考えております。
事前準備の継続的な推進力としての期待
危機管理のフェーズを大きく3つに分けると、発災(災害や感染症が起きる)前の予防のフェーズ、そして発災してから終息するまで、対応にあたりできるだけ被害の軽減を目指すフェーズ、そして終息後、次に備えて、対応の振り返りを行ったり、演習や訓練を行ったり、計画を立て直したり、備蓄を行ったり、という、事前準備、英語でプリペアドネス、と呼んでいるフェーズがあります。
事前準備のフェーズが一番長い
この3つのフェーズ(予防、対応、事前準備)のサイクルの中で、やはり一番目立つのは、対応のフェーズです。まさに新型コロナ対応はこの部分を3年以上もやることになってしまうほどの大事件だったわけですが、もっと長い目で見ると、実は、この危機管理のサイクルの中で対応をしているフェーズというのは、非常にわずかな時間で、実際には「事前準備」という活動に費やしている時間がほとんどとなります。
いかに「ヒト、モノ、カネ」を維持できるか
しかしながら、この長い長い事前準備の時間は、非常に苦しい時間でもあります。残念ながら人は喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉の通りで、あっという間に危機で苦労したことを忘れてしまいます。事前準備、プリペアドネスの活動のために、人も、お金も、費やす時間もあっという間に減らされていってしまうのが現実です。いかに次の危機に備えるためのモチベーション、すなわち、人、モノ、カネを維持できるか。これをどれだけできるかが、次のパンデミックの対応につながっていきます。
特措法は、計画策定や訓練の実施、備蓄の構築等を行うことを定める法律であり、事前準備のモチベーションを維持する重要な役割を果たして来ました。さらに総理・内閣官房長官直下に統括庁という形で明確な国のリーダーシップが定まることで、長い年月にわたる事前準備(プリペアドネス)の継続的な推進力となることをまずは期待したいと考えております。
事前準備(プリペアドネス)のあり方
これまで、新型コロナのたびたびの波を経験する中で、感染症法、特措法等の法改正が行われ、当初はすぐ目の間に迫りつつある次の波を乗り越えるための対応面での強化、そして徐々に次のパンデミックを見込んだ事前準備(プリペアドネス)の強化、に議論が移ってきたかと思います。
新型コロナの反省を踏まえて、これまで決められていなかったけど実際にやることになったことを法的に位置付けていく、あるいはできなかったことをできるようにする、継続的な準備、計画的な準備を行う体制を作る、病床などある一定数を緊急時に確保できるような体制を作る、といった取り組みが進められてきたかと思います。
何かを準備するには、常に、なにかしらの想定というものが必要になってきます。多くの場合、新型コロナでの経験をもとに、その準備の目標数や対応が定められつつあります。これだけ社会に未曾有のインパクトを与える事態を経験してきたわけですから、再度このような事態が起きても対応できるように備える、これは自然な流れでありますし、一つの妥当な考え方であります。直近の事例というのは誰にも非常にわかりやすいシナリオであります。
一方で、このような備えを行うときに、気をつけていただきたいのは、色々な所で同じことを申し上げておりますが、危機管理は、過去のシナリオ、いわゆる過去問、に囚われていてはいけない、ということです。次の危機はまたコロナのようなことが起こるのか。きっとそうではありません。全く同じことは決して起こらないのです。常に「次に起こり得ること、これから起こりうることは何か?」を問いかけながら前に進んでいくことが大切です。人はなかなかこれまで経験してきたことがないシナリオを考えつかないし、受け入れられないものです。実際、新型コロナの発生以前もそうでした。新型コロナのようなシナリオは考えつかなかったし、考えついたとしても受け入れられなかっただろうと思います。事前準備には、想像力を働かせて、将来のリスクのランドスケープを考えていくことが大切です。
「新型コロナに備える」ではなく、新型コロナを一つの目安に「土台」を作る
一方、実際に備えるとなった時に、リソース(ヒト、モノ、カネ)が無限にあるわけではありませんから、何かしらの目標値は必要です。例えば備蓄量とか病床の確保数とか、新しい組織の人数とか、その準備のレベルは、新型コロナの経験を一つの目安として決める。これは結構なのですが、そうしているうちに、ついつい「また新型コロナが来たときのために」という考えに陥ってしまいがちです。我々は「来る次の新型コロナに備えている」のではなく、あくまで「新型コロナを一つの目安として」我々の備えの土台を作っていこうとしているのだ、と考えていただかなければいけません。
常に応用問題を解くためのトレーニングを
この先、危機が発生したとき、おそらく想像していた通りのこととは違うことが起きてしまうと思います。その時に、これまでに備えたツールをどのように使っていくかを柔軟に考えるトレーニングをしておくことが非常に重要です。過去問はあくまで備えのための一つの参考、常に応用問題を解くためにトレーニングをしていく、ということです。
土台の大きさが選択肢を増やす
新型コロナを一つの目安として、土台を作っていく、きちんとできれば非常に大きな土台となりますし、土台の大きさがいざという時の選択肢を増やします。基盤となる能力を徐々に高めつつ、いざ新しいことが起きた時に、それをどのように応用していくか、というところに思いを至らせるような未来志向の危機管理を統括庁はリードしていただきたい、そう思っております。
統括庁に魂を吹き込む
統括庁の設置、そして司令塔機能の強化という点について、いかに司令塔を司令塔たらしめるか。今回法で大枠ができたとしても、それが司令塔として役割を果たすにはいわば魂を吹き込む作業が重要になってくると考えています。
拡張可能なメカニズム
まさに統括庁のオペレーションをどのように回していくのか、特にパンデミックになりうる事態の発生といった有事を想定して、ということになりますが、まずは、拡張可能なメカニズムを有していることが大事です。危機の時には応援職員が多数入って体制を大幅に拡張するわけですが、そのような時に急に顔を合わせた人たちがすぐに協調して対応できるメカニズムというのを整備しておく必要があります。これは災害対応で培われた考え方が参考になるだろうと思います。
幹部も含めたスタッフのオペレーションの理解
加えて、内部のスタッフや幹部が危機管理オペレーションの基本的な考え方を理解している必要があります。基本的な考え方について、幹部を含めて全て、研修や訓練を受け、緊急事態オペレーションのメカニズムに習熟している必要があります。また、危機発生時に増員されたり併任されて危機管理組織に組み込まれる方も全て基本的なトレーニングを受けている必要があります。
EOCの重要性
また、そのようなオペレーションをする場所、というのも重要です。司令塔に感染症発生に関するさまざまな情報や知見や、各省庁の対応を共有・統合し、迅速な意思決定を行なっていくためには、共同作業がしやすい物理的な場所の整備のも重要です。各省庁からの人に限らず、外部からの応援が入っても共同作業が可能な環境整備が重要です。我々もEmergency Operations Center、略してEOCと呼ばれる場所を、一番大きな会議室を改装して整備しました。人材を有効活用し、最大限の機能を発揮するためにも、重要な物理的な設備としてご検討いただきたいところです。
演習・訓練を通じて「司令塔機能」とプレゼンスを示す
一方で、今回の新たな統括庁の司令塔機能というものが、一体どのようなものなのか、何をどこまでするところなのか、ということを、関係機関がきちんと理解していることも重要だと考えます。これらを実現するために、演習・訓練というものが重要になってきます。
演習・訓練、というのはよく混同されていますが、詳しく申し上げれば、演習とは例えば計画や手順を作る過程で、実際に試してみて検証することを目的とします。一方、訓練は、つくった計画や手順に習熟することを目的とします。まずは、訓練の前に演習を繰り返しつつ、例えば対応手順や計画をドラフトして、演習で試して、その結果をフィードバックして、手順や計画をブラッシュアップしていくことが重要になります。その過程で、関係機関との合同演習なども繰り返していく中で、統括庁の司令塔機能とはなんなのか、何をしてくれるところなのか、というが周りの関係機関に実感されてくることで、役割分担なども理解され、実際のオペレーションが回り出すようになるのではないかと思っています。できれば、統括庁には訓練・演習の専門部署があると良いのではないかと思います。さて、国における統括庁の司令塔機能とリーダーシップは非常に重要なのですが、そこで決められることがあまりに事細か過ぎてもいけない、と考えています。
地域の判断・分析能力を損なわない
感染症は確かに、各都道府県や地域が、大方針に基づき協調して対応することが重要です。一方で、流行状況やその地域的背景、例えば医療提供体制であったり、人口構成等はそれぞれ異なる中で、地域の状況に合った適切な判断というのが求められます。それには、各地域で情報収集し分析し、対策を判断する能力が必要です。統括庁で全てを事細かに意思決定する、という形をとっていくと、そのような地域での分析や判断能力が徐々に失われ、迅速な判断や対応ができなくなります。また、そのようなことができる専門人材も地域で育たなくなります。結果として、地域の感染症危機管理機能は低下してしまいます。そのようなことがないよう、国は、大方針を明確に示し進捗管理をしつつ、地方がその中でそれぞれの地域で状況を見極めて、考えて判断していける体制を作っておくことが、本当に強い国全体の感染症危機管理体制につながっていくのではないかと考えています。
魂を吹き込む:まとめ
以上、まとめますと、統括庁に司令塔としての魂を吹き込むために、拡張可能な有事対応のメカニズムを整備すること、それに幹部を含めた職員、そして応援に入る可能性のある予備役的な職員が習熟すること、Emergency Operations Centerを整備すること、演習・訓練を通じて機能やプレゼンスを示していくこと、そして演習・訓練の専門部署を整備すること、最後に、過度に事細かに指示せず、大方針を明確にし地方における分析や判断の能力を養うことに留意することをあげさせていただきました。
感染症危機管理の人材育成
キャリアパスを作るまでやってこそ人材育成
最後に、今後の感染症危機管理の人材育成について、一言申し上げたいと思います。感染症危機管理、という分野の専門家をどのように育てていくか、ですが、非常に新しい分野だと思っています。そして、領域横断的な専門性を有します。単に研修等を提供して関連する知識を得る機会を増やせば良い、という単純な話ではありません。職能として確立し、さまざまな所に、その職能を活かすポジションがあり、ステップアップしていけるキャリアパスが社会に形成されるところまでいかなければ、人材育成とは言えないのではないか、若手・中堅のキャリアの方々をこの分野に呼び込めないのではないか、と考えています。
まずは既存の専門分野の人材層を厚くするところから
元々、感染症分野には人材がそれほど沢山いたわけではありません。感染症危機管理というのは、科学的知見に根ざした実務です。そのため、まずはベースとなる学問分野である微生物学・臨床微生物学、感染症疫学・実地疫学・数理疫学、感染症臨床、感染管理、臨床研究、そして公衆衛生。こういったそれぞれの既存の専門分野の人材層を厚くするところから先ずは始めなければいけないところです。
+ 危機管理、特に行政実務
その上で、危機管理という考え方を学んだ人を増やしていくことが必要です。特に感染症対策は行政が関与するところが大きいので、行政実務を知る機会を設け、法の運用や、行政という感染症統治機構の運用を知ることが重要な要素であると考えます。行政の考え方を知る専門家が増えることで、対策に直結する助言の精度も高まっていくものと考えます。
各レベルのステークホルダーを繋ぐ存在になれるか
こういった領域横断的な知見と経験を有する専門家が、国レベルでも県レベルでも地域レベルでも育ってきて、地域のステークホルダーとなる行政、専門機関、病院、アカデミア、これらを横断的に繋いでいける人材となっていくことが感染症危機管理の強化につながっていくものと考えています。それが職能として、専門性として確立し、キャリアパスとして育っていくことが望ましいと考えています。
クロスオーバーキャリアの評価軸を
この過程の中では、これまでの人材育成体系とは異なった、さまざまな分野や立場をクロスオーバーして経験する人材が生まれてきます。これまで専門人材は、例えば研究者であればある一つの分野で掘り下げた研究をすることが高く評価され、論文の数などで業績が評価されてきました。そのようなキャリアの中で、実務をアドオンしてもあまり評価されず、次のキャリアに繋がらなかったところがあると思います。そのようなクロスオーバーキャリアを評価できる、これまでの評価軸とは異なる人材の評価体系や評価軸が必要になっていくと考えています。
感染症危機管理の人材育成:まとめ
感染症危機管理の人材育成のステップについてまとめますと、以下の通りです。
まずは既存の専門分野の人材層を厚くすること、
その上でさらに危機管理や法の運用、感染症統治機構を学んだ人材、経験した人材を増やしていくこと
そういった人材がステークホルダーを横断的に繋ぐ役割を国や地域で果たしていくこと
分野や立場をクロスオーバーして経験する人材の評価軸を確立すること
そのような業務を専門性として確立しキャリアパスとして育てていくこと