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介護のうしろからガンがやってきた!?


日経ARIAのネットマガジンに、

『自分が、家族が、部下が… がんと共に働く』という特集ページがあります。友人のがんは数人いて、ありがたいことに、私の友人たちは仕事もプライベートも元気に過ごしていますが、周囲の人間関係に、がんの治療をしている人がいる、ということは珍しいことではなくなったといえます。


そして、20202年10月16日の記事Upは、作家の篠田節子さんの『抱え込んだとき、がんはやって来る』です。

篠田さんは『介護のうしろから「がん」が来た!』という書籍も発刊されました。


ARIAの記事の文中にこのような記述があります。

『介護をしていると自分の生活習慣を保つのが難しくなっていくことがある』

大きくうなづいてしまいます。

がんを誘発することに、ストレス、が言われています。
がんでは、種類により様々ではありますが、細胞の変異があることがわかっており、遺伝子の変異もあります。
ストレスが大きすぎると、遺伝子や細胞の変異に関わるともわかってきていうのです。

それでも、多少の変異があっても、修復する力が人間の体には備わっていますので、休養や栄養、運動などで整えることで、変異した細胞は無くなっていくか、増殖することなく、病気を誘発しないままでいます。

介護にあたっていると、”自分の生活習慣を保つのが難しい”ことが多々あります。

食事や休息、自然にリラックスになっていた行動の減少、考えることやすることが増えて脳疲労や精神疲労も増えます。気持ちがもやもや、すっきりしないことも増えます。
特に、介護状態が安定するまでの期間や、不安定な時期は、疲れます。

私自身、介護にあたって、保健医療職種ですので、まあ、基本的な知識はありますので、自分の健康管理が一番大事!、倒れたら両親のサポートもできない、と気をつけてはいましたが、そうはいっても、落ち着かない最初の1年間は、特に精神的に疲れ、自分を整えることにエネルギーが必要でした。

仕事では、現代では、どこも人数ギリギリで回していることが多いのではないでしょうか?気軽に休みも取りにくかったり、休めても、仕事が溜まるわけですので、出勤すれば仕事は詰まりがちでしょう。

私の場合、比較的、時間調節は自由にしやすい職業&職場でしたが、そうはいっても、必ず出ていなくてはいけない業務や時間帯はありました。介護にかかる物理的な時間の捻出は、誰にとっても課題になるでしょう。

そして、介護にあたっていると、エネルギーが必要ですので、自分に手をかける精神的なゆとり、物理的な時間が削がれる、ということが大きいと思います。

では、どうするか?

篠田節子さんはこう述べています。

『いくつものことを同時にするのは無理なので、優先順位を付けることが大事ですが、そのときどきに何を最優先にするかは自分が決めることではなく、必然的に決まってくるんです。』


これも、とてもうなづけます。
私も、母の状態が悪くなった時、すべきことはコレだ!と、必然的に突き付けられたと、振り返って思います。対応するしかない、とも言えます。

この記事のタイトルは『抱え込んだとき、がんは来る』ですが、がんだけではなく、抱え込むと、だいたい、何らかのしわ寄せは来るものです。
ですから、いつも、少し余白をつくっておく、は仕事でもプライベートでも大切かつ必要なことなのだと思います。

どんな人でもその人なりに、若いときは体力がある時期ですので、体力で乗り切ることができても、介護世代の40代以上は、そうはいきません。無理を続けると、自分が先に倒れてしまうことは、冗談でもなんでもなく、起こることです。


『他人に任せられない人というのは、若い頃は現場でばりばり働いてよく気がついて重宝がられても、ある程度の年齢になるとそれが無能さに変わるんです。采配をふるって段取りして人にやらせなきゃいけないのに「私がやらなきゃ」「○○さんに任せたらこんなことになっちゃって」と文句ばかりの人がいますよね。』


篠田さんのこの言葉、介護に関係なく心得ておきたいことだと思いますが、特に介護では、共倒れにならないように、手放せることは手放す、が肝要だと実感しています。これから介護に直面する方は、ご自分が何を手放せるか、意識することは大切ですし、そのほうが介護に関わるご家族や周囲との人間関係もスムースになりやすいでしょう。

明るく笑える時間、深呼吸してリラックスできる時間を保っていきましょう、お互い^^


篠田節子さん著の『介護のうしろから「がん」が来た!』

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<余談:私のこと>
私は、2017年頃から、車で約250kmほどの実家に月1回、介護見守り&家事帰省を継続中です。2020年こそ、新型コロナ感染症により、他県から帰省すると、実家への訪問看護・介護が2週間停止になってしまうため、2,3か月帰省しない時期もあるのですが。

定期的な訪問看護やヘルパーさんによる訪問介護は、介護を受ける母のみならず、元気な父の体調管理、生活リズムのために、必要かつ有益ですので、私の帰省を取りやめるほうが、両親の生活維持には有益なのだと判断しています。

正直なところ、往復約500km、時間にして片道4時間半程は、これだけでもなかなか疲れます。運転は嫌いではないですし、時折、休憩を兼ねて気分転換に寄る場所もあり、楽しみもあります。
とはいえ、フルタイム勤務者、どちらかといえば過重労働傾向、単身で気楽とはいえ、50代の身体には堪えました。

「ました」と過去形なのは、7か月前の2020年3月末で退職したからです。介護離職ではありません。自分の未来を考えての予定退職ですが、フルタイムで、土日の出勤もしばしば、17時終業とはいかない職場では、月1回2泊3日の長距離移動の帰省をスケジュールに入れ込むと、業務は前後に多少詰め込みになるか、自分の休養時間を削ることになり、負担ではありました。

もっと集中して、時間を効率よく使うことができればよかったのでしょう。けれども、疲労がたまっていると、集中力は低下します。疲労も、表層的には取れても、沈殿した疲れは残ったままです。

実際、新型コロナ感染症で、毎月の帰省がなくなり、こんなに楽か・・・と思ったのも、正直なところです。退職して、自由な時間が増えた状態でも、そう感じたのです。

退職したあとの夏には、急な腹痛、それも冷汗・脂汗・・・。疲労がたまると、年に2,3回ほど、ひどい下痢をすることはありました。軽い下痢は時々。けれど、あれほど苦しい下痢は初めてで、最後はなんと出血まで。
真っ赤な鮮血でした。

医療関連職種ゆえ、苦しい中でも、
「わあ〜、教科書通りの鮮血だよ・・・」「ちょい、まずい・・?」「治まるか、続くか、ちょっと様子みよう」「でも、続いて、意識亡くなるとヤバい・・・」「お腹痛い・・・救急車・・・?」なんて、思いながらウンウン唸って、冷汗びっしょりで、トイレ前の床に寝そべるしかなく・・・。

5時間ほどで、深夜になんとか出血も下痢も止まり、翌日、近医を受診し紹介状だけもらいました。こういう時は身体から出るものを止めないほうがいいので、病院に行っても特に何もしないだろうと思っていたので、紹介状をすんなり発行してもらえてよかったです。
そして、翌日は250kmを運転して、なんとか無事に自宅に戻り、その翌日に総合病院を受診して点滴をしてもらい、検査予約。その後、胃腸の検査をしたら、大腸ポリープがあり切除。切除後10日ほどを経て、普通の食事に復帰。

この間、ひどい下痢下血から2ヵ月間。検査のためとポリープ切除で胃腸を3回空にしたり、医師の検査の手技に不安が残り、ポリープ切除は遠方の症例数の多い専門医の所にしたりと様々あったわけですが、

退職して、やっと疲れが表面に出てきたのかなあとも感じました。この感覚は非科学的でありましょうけれど、退職後の4月から7月くらいまで、だるさがいつもあり、疲労の蓄積を感じていたのです。
それまでは、疲れていても、ルーチンで動いていたので、押し込めていたのかもしれません。感じることができる環境になって、疲れをより知覚したのかもしれません。

介護のうしろにがんが来る、あるいは、介護のうしろに生活習慣病が来る、を職業柄、認識してはいたものの、あらためて実感を伴い、思うことなのです。
まだまだ介護は続きます。長きつきあいの友人も毎月、他県のご実家に介護帰省を続けています。お互い、元気にまた会いたいものです。


・・・・と、こんなことを綴りながら、これから介護に入っていく30代後半から40代の方々に、お伝えしていく、介護とうまくつきあうコツ、をシェアし合う場づくりもいいかなあ、なんて着想も^^
かくしていると、ますます苦しくなるもの。できるだけ明るく向かうほうが、がんも生活習慣病も予防できるのですものね。
では、また^^



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