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꙳☄︎最終稿꙳☄︎「問題は解決するな」 kan.著~...解決するな、なんて無理!って思って来たけれど...《6360字》

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はじめに

今回は 私の経験と照らし合わせ kan.さんの著書内容を部分的に紹介していきます。

本著は2013年に出会っていますが 2020年新装版として再版され 今回改めて まるまる加筆された 第7章を読みました。

今回はこの著書の中でも第7章に注目
上げていきたいと思います。

お読み頂く上での注意点

こちらの場所では
スピリチュアルに関連した言葉や見解を多く採用しています。違和感を感じられる方はスルーして下さい。

【スピリチュアリティ】
訳語には「霊性」や「精神性」などがある。ただし、キリスト教などの組織的な伝統宗教からは離れて個々人が霊性に目覚めるような新しい文化運動・宗教現象などについて1990年代以降はカタカナ表記される方が優勢であるが「霊性」と「スピリチュアリティ」という訳語を同じものとして扱うこともある。 霊性や精神世界やスピリチュアリズム(心霊主義)に関わる意味ではスピリチュアル(霊的)ともよばれる。
Wikipedia「スピリチュアリティ」

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kan.著 「問題は解決するな」 を参考に 人生に活かそうとすると人が今 居る意識の場所によって 解釈がどの様にも変わって行く

「違い」あるものをどう捉えるか

「違い」を 認識すると それを解消、調和 させようとする「動き」が生まれる。それをなんの感情も動かさず 見ていられるか...

自分との 「違い」 に触れると 何らかの反応を生みます。互いが出会うことで「摩擦」を生み「違和感」が 生じるように働いていくと

「今は理解出来ない領域を 知りたい 理解したい」と努力してゆこうとするのか、もしくは 受け容れないことを選択すると 〈その思考が その存在そのものでは無いのだけれど〉存在を否定 するよう 働きます。

ただ 時間をおってゆくと人は分かってくる時が来るので 人は自由意志として 都度 選択し続けることが出来るのですから 道さえも いつでも切り替えることは出来る。

「違いが あること」は 間違いでは無く、問題でも無い。それを 自分だけの観点から 他者を正そうとしなくて良い。

また 物事を見て捉えた時 今 その人が居る 意識の場所とか 経験を通し 実感をどれだけ得ているのか...にも関連し 、同じものを見ても 人によって受け止め方も違って来て その後に生じる 心情の動きや 取り組みが変わってきます。

ある意識レベルの理解を得ているのか、そうでないのか...で 同じものを見た時、心の中に生まれる感情とか思考の展開が 変わってくるのです。

受け容れられない、とか 拒否、否定したい、表面上だけ同意を纏う、自分の本意を明らかに出来ない...等の心情には 分かりたいと思わない、聞いても分からない、全く理解出来ないから 無駄...と 諦めのような心情が 起きるでしょうか。

相容れなくても 互いを尊重し合える状態を 生むことができるか

ただ 自分とは違う領域への理解とか知るとか 分かって行くことは 調和へと続いてゆくものもあれば、相容れなくても尊重し合えるようになると「違和感」は無くなって 同じ世界に居る様に感じ 生じていた「摩擦」が 消えて行きます。

すると
表面的には 違いを受け入れているように繕って来た行動を生む必要が無くなり、「争い」とか崩壊的な状態へは 進まない道を辿ってゆくことが出来る。

「違い」を 受け容れない、または 否定...を選択すると 未知の領域を知る機会が 一旦 途絶える

この状態が悪い、ということではありません。暴力的に 心や肉体を傷つけ合うことは互いにとって無意味だから、それらを避け、互いが安心して存在出来る様に なんとか均衡を保てないものかと考えます。

否定し続けたり、拒否、 従わせようとする、そういうものは「恐れとか不安」から生まれてくるのか...そういう感情は自らをも傷付ける行為だから 出来れば そういった感情は手放せば良い...と、思う。

そして
“今 在る自分” との 違いある領域を知ろうとすることは 今の自分を 自分が否定することでは無いし、知ろうとすることが、未知のものに従わなければならない...と いうことでは無いから、恐れる必要も無い。

違いを知ること...とは

違いを知ることは
自分の信念を曲げることでは無く、自分の信念とは 本当のところ、どういうものか、を知るためにも 違いを知る必要もある。

これは「正しい・間違い」とか「善悪」で 物事を見ない〈ジャッジしない〉

両極端の片方しか 視野に入れることが受容出来ない状態では 「善悪」「正しい・間違い」などの観念を生みやすいものです。

(今在る自分)自分とは 違うから 違和感が生まれます。発想に違いがあって 予測出来ないから 「恐れ」とか「不安」が 生まれてしまうのでしょうか。

自分は自分の主張があって良いし、違いある人の主張があって、それぞれが それでいい。

特に 「対極にある〈違い〉を 嫌う感覚 」は
「認めない(認められない)」 「反感」「恐れ」「正しいと信じているものと違うから間違っている、と 判断〈ジャッジ〉する」などの思考が、感情や想いとなって 次の「行動」を生んでいきます。

そんな状態を 人生の中で
幾度 目にして来たことでしょう。

違いを 嫌ったり
排除しようとする必要は 無い

「違い」があっても全てが 同じになる 必要は無く「違い」が あるからと嫌う必要も本当は無いのに、

「違い」が いつの間にか
上下を感じさせ、どちらが正しく どちらが間違いなのか...の状況に陥いらせたり、自分と他者を尊重し合えず、そこから生じるネガティブな感情が ネガティブな現実を生じさせているように 感じて来ました。


「違い、が 出会う」ことが、互いを傷付け合う 衝突や 崩壊へと進むんじゃなく、互いをより良い働きに活かせる方向に成ってゆかないものでしょうか

(注:崩壊し 新しいものに生まれ変わってゆくことが時には必要な時もあります。また、衝突し合って 混じり合うことも必要な時もある。)

「違い」を 認め合い 尊重し合い、それらが そのままありのままに 存在してゆくために、今在る仕組みを知る

互いの違いに対して 否定したり、同じになるように従わせようと また自分の本質を隠して従うように、互いが侵襲し合わなければ、違いある特質が明らかになって そのままに それを活かすよう補い合えるのでは?...とも思う。


それらが 尊重し合い、そのままありのまま存在しても良いように 成ってゆくには どうしたら良いでしょう。

肉体を持ち この物質世界を生きてゆくために、五感から情報を吸収して来た私たちは それそのもの、ありのままを認めてゆく生き方では無く、物質的な何かを獲得するための手法を学ばされ続けて来ました。経験を通して受け取って来たものが感情と一緒に積み重なって その人なりの判断を生んでゆきます。

その判断基準は
それまでの経験がシステムを作り、良い悪い 好き嫌いなど 目の前に現れる事象に その人の過去から蓄積されて来た感情パターンが 添付されています。

何かを五感で捉え その後反応してゆくベースは 幼少期の経験で何を得て何を積み重ねて来たかで分かって来る

幼少期にネガティブな経験が多く 適切な指導や都度解消されるような方法を学ぶことが出来ない状態にあると ネガティブな反応を持ちやすく、

ポジティブな経験が多く また ネガティブな状態が生じても 前向きな対処法が身に付いて行けば、挫けそうな経験に見舞われても 比較的早い段階でなんとか自分の力で立ち上がろうとすることが出来るはずです。

どんなパターンを 自分が持っているのか、に気付くと それを組み直すことが出来たり、これまでのパターンに飲まれることは 無くなります。

今の自分が直感的に、感覚的に、感じることを信頼して 今をゆけばいい。

目に見えない仕組みを知ると それを壊すことが出来ます。新しいパターンを作って 新しい結果を生み出すことも出来る。

ネガティブ思考が悪いのでは無いけれど 前向きなポジティブな結果を生みにくいのは事実

ネガティブな状態を生成して行くシステムに気付き 自ら壊してゆくことを勧める

ネガティブ思考が悪い訳では無いのだけれど、結果 ネガティブな思い込みが 前向きなポジティブな結果を生みにくいのは事実。自らそれらが生まれる仕組みに気付いて 壊してゆくことを勧めたい。

♡࿐⋆*

「問題は解決するな」kan.著 の 表題から当時の私は 強い衝撃を 受けた

私は初版2013年にこの本に出会い kan.さんを知ることとなりました。この本から受け取った言葉達からも 強い衝撃を受けました。

「問題は解決するな」 そこに問題があっても 解決しない、問題、と意識しない、……??

当時の 私にはありえない思考

何故なら 私の性質上
ありえない状態を示しています。

目の前に観る「問題」と言われるものはことごとく早めに対処、問題が大きくならないうちに火種を消す、問題解決となる「種」を早めに植えておく…それが私の性質。

...だから

私の存在?を否定されるような気分になった。
けれどkan.さんの視点は 今、この時にさえも、ずっと私の中で 問いを投げ掛け続けて来てくれたありがたいものでもあります。


𓂃꙳⋆

自分の人生で その時々に大切だと思えることは 移り変わってゆく

改めて この本を読んでみると
2013年当時の受け取っていた感覚と、今 大切だと思えることが移り変わっているのを実感出来ます。

子育ても終了し 物質的な豊かさから離れ、様々な欲や執着が手放されてきた、気ままに生きることが出来る時間の中に居るからでしょうか。

𓂃꙳⋆

𓂃꙳⋆

新装版 「問題は解決するな」kan.著
第7章 目次

Kindle版 試し読み、より

「第7章 ただ見る。真実は向こうからやって来る」……から 自分の人生に照らし合わせ 学びを活かす

第7章
ただ見る。
真実は向こうからやって来る。


・私たちはすぐ解決するように反応させられている
取り組まないでただいる
・自分に起こることをただ受け入れればいい
・来たものはまずやってみる
・「ただ見ること」とはやることとやらないことの中間
過去の教訓が役に立たない時代に生きている
「今ここ」とは 過去のものはなにも役に立たないということ
本当のスピリチュアルに目を向ける時
・「日本はいい国だ」と感じられる日本を残す
・「道」に生きると正中線がうまれる
・「道」に息づくものは 真に人の心を打つ
新装版「問題は解決するな」kan.著 第7章目次

今、問題を解決してゆこうとする 行動は 何故 生じるのか

今、問題を解決してゆこうとする行動は
未来 生じるであろう 現時点での問題に気付かず それらを放置することで拡大するように感じられる ネガティブな未来の状態を避けるための行為であり、私は看護師として長年予防医学からの観点からも 重要である、と 取り組んで来たものが 多々あります。

ですから
早いうちに問題の芽を摘む行為は私自身が よく執り行ってきたことです。

kan.さんが指摘している点

初めにこの本を手にした頃。
「はじめに」の最初の文章。

もし今、生きることに違和感を感じているなら、自分が周囲と調和していないと感じているなら、あなたは こう思っているかもしれません。「自分に起きている問題を解決しなければならない」と。

まず その錯覚から覚める必要があります。
道はそこから始まります。
2013年初版 「問題は解決するな」kan.著より
第一章 問題は「問題」ではない〈以下部分抜粋〉
・問題にエネルギーを注ぐと燃え上がるだけ
・本当に困る前まで解決ゲームに参加しない
・痛い時は 痛がる
・波の無いサーフィンは 面白くない
・諦めると新しいことが始まる
・事実と思い込みをきっちり分ける
……etc
2013年初版 「問題は解決するな」kan.著 より

kan.さんが指摘しているのは、
時間が自然に解決するものに対して 人の手が入ると複雑になってゆくから手を出さないでおくことを奨励するもの、と受け取りました。

気付きのレベルが人によって違っていて これは例えば仕事などに時間が取られ、自分の身体を壊している状態にその人自身が気付けない...など、その人の環境にも 気付きが遅れる環境にあったり、気付き難い性質を持っていたりします。

命に関わるような事態が起きた時 初めて当人は気付く。気付きが遅れる環境や 性質の変容を促される状況に気付くようにと、その人自ら 究極の状態へと自分を追い込む仕組みを持っているようにも感じる。

解決しようとしなくても
時間が解決する。

当事者が解決すべきものはその人の成長に関わるものだから その人自身が気付く必要があり、何らかの出来事が生じたとしてもそれに取り組むのはその当人である必要があります。

真の目に見えない領域の成長とか そういった領域を調えてゆくのには、他者が手を下すのでは無く、当人自身が自ら気付いて開いてゆくものです。

ヒーラーとクライアントさんの関係でもそうですが、その人が持っている 真の問題や病などは、ヒーラーが治すのでは無く、当人自身の力で正してゆくものと 私は認識し 関わっています。

ヒーラーは 助言者に過ぎないし、何を実際選択してゆくのかは 当人が都度 自分の感覚と実感を通して 自分の責任で 自分の人生を生きてゆく必要があると考えます。

私が目指すのは クライアントさんも人として
自立してゆく必要がある と 常々考えています。
それを手伝ってゆくのも
ヒーラーの役目だと思っている。

「問題」に見えていたものは 時間が来てその人が成長してゆけば 超えることが出来る。それは「問題」に見えた時の自分と それを超えた「自分」には 時間経過が齎した「成長した自分」として それらを観る事ができるからです。

...すると

「問題」だったものは 「問題」では無く、単なる 自分の意識レベルを上げるための「試験」の様なものだった、と分かる時もやって来る。

……これらが
時間が解決して行く...という事でもある様に感じています。

今を生きるのに 本当に自分は「今」に居るのか に気付く

まだ生じていない「問題」に 今の意識を奪われ「問題」を今に引き寄せる様に働いていないかに気付く

また 「問題」に視点を向け続けていると、今を生きるのにも関わらず、今の自分の意識が「問題」に常に焦点を当てている状態にあって時間を奪われている。と いう点と、不安とか恐れに 囚われ留めさせられてしまうと まだ生じていない「問題」に 今の意識を奪われてしまい「問題」は生じないのに「問題」を引き寄せるように働く...という点にも 気付く必要を感じます。

自分が本当に手掛けたいことに、今の自分の時間とか 自分の意識を使うことが出来ているか?

...と いう点も 問われています。

今 自分の意識が 例えば 過去の経験から来る感情に支配されたり、未来想像から来る 不安とか恐れなどが 今に生きる自分を 侵襲している状態を生んでいることがある。

目の前に現れてくるものに対して、いちいち抵抗とか反抗することなく 今に生じてくるものをただ受け入れ ただただ観察するように...と促されています。


以前 白隠禅師のお話を記事にしたことがあって
禅師の行為と似ている状態を kan.さんは話されているようにも感じます。


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これを最終稿とします。

2023.02.23.  19:00

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