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生きる意味を自己に問いかける

私が好む 神聖幾何学模様の一つ。

『Flower of Life .』大きな円の中に、19の円が調和する神聖幾何学模様の代表。「フラワー・オブ・ライフ(生命の花)」すべての図形を内包し、あらゆる形を生み、地球や肉体のグリッドとリンクする …この図形は、開花・結実・終息・復活、森羅万象の命の循環…を表現。文明、宗教に関わらず、世界中で「永遠の喜びを祈り感謝する意識の象徴」…とされ古代エジプト・オシリス神殿などの建築物、装飾品、衣装など様々な本能、自然の叡智と繋がり、偉大な力を掲示する「生きることの意味」を常に意識する様 働きかけ、清らかな真理へ導く聖なる模様。

「生きることの意味」とは、あなたにとってどんなものでしょうか?

螺旋状に物事や意識が上昇して行く時、必ずといっていい程

「手放し・浄化」
「悲しみ・痛み」
「混乱」
「忍耐強い 継続」
「新たな基盤、循環の整備」
「喜びと共に 創造が生まれ」
「経験が積み重なる」

それらは開花・結実・終息・復活、森羅万象 命の循環。命ある限り その様にエネルギーは流れ 移りゆき 変化変容 循環し続けている。平穏平和。変わらず ここに在り続けるのは、私という“個”の意識が、 今、という時の移り変わりと共に柔軟に 変容し続けている、ということ。

今 すべきことに集中し ただ 今 ここに在る。

清らかな真理とは…
あなたにとって何でしょうか?

「不思善・不思悪」〈六祖壇経〉
~善も思わず、悪も思わず~「不思善・不思悪」とは道徳的な意味の善悪ではない。私たちは生きる上で善悪の判断をしながら生活しています。ところが、「これは善い」と思って行動しても、それが悪い結果となることもある。さらにはあらゆる善意をもって人に接したとしても人によっては悪意と捉えることもある。
このように 私たちの善悪の判断は極めて不確かなもの。そのため、道徳的な判断を越えたところにある
境地に立たなければいつまで経っても目先の善悪の価値に捕らわれ自分に内在している「仏性」というものに出会うことは出来ない。これが自分が持つ「本来の面目」。「仏性」とは人間誰にも内在している 「仏になれる素質」それと出会うには世俗的な善悪の価値を捨て去りそれに囚われない高次元の境地、すなわち、本来の面目に立つこと。
「面目」の語源・由来。もともと仏教用語。人間の生活活動や意識活動以前の生かされている命(存在)の有り様・姿を意味する。


あなたは今、
どんな自分の命の有り様、姿を見せているのでしょうか?


森羅万象 命の循環
創造し続け、次元上昇し続ける…

時に試練のように現れる 苦難、それを乗り越え
宝物の様な何かを得る喜びを修得しながら 今に在り続ける…

苦難のように立ちはだかるものが現れた時
もしかしたら
別の視点が生まれるきっかけに過ぎなくて
それまでの価値観が崩され
新たな始まりに向けて明瞭になって行く 転換期
…となっているのかもしれない。

同じ時はいつまでも続くことはなく常に変化し続けている。

この時 “わたし” の 意図を明確にして 今の行動、とすると…未来には何かしらが結実する。
“今” に未来を創造しながら 今を生きている、ということになる。

未来に何かが生まれるのだとしたら 今にどんなものを種を撒きましょう?

今、この時、祈りと共に 感謝を 捧げましょう。

《最近ご訪問の多い2018.12月の過去記事を再考し投稿しています》

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この新型コロナの事態に 今までの習慣が習慣で無くなり、普通に出来ていたことが普通ではなくなり、働き方、収入を得る方法も今までのパターンの多くが 今までの普通とは 異なって来ています。

これは転換期に起きやすく、何十年かしたら この先に生まれるだろう新しいシステム、自分なりのやり方や生き方が、普通に自分の習慣となっている時代がもう既に未来に計画されていることもあるかもしれない。

ひと昔 江戸時代の生き方や衣装、髪型さえ今の時代とは異なる日本の姿がありました。けれどそれも日本の過去にあった事実の有りようで、今まで普通だったパターンが崩された時、新しい自分なりの習慣を生み出すチャンスかもしれない。

今 じっくり 自分の求める生き方を自分に問うてみる。その時間が自分へ与えられている。今しっかり自分の内面に向き合えた時、新たに本当の意味で自分が望む生き方へ続くヒントや準備となるものが既に目の前に与えられているのかもしれない。それは次へのステップへの知識を蓄積させる時間かもしれない。既にある知識を整理しあとの実行させるための時間かもしれない。

《調える》ための時間。

今、という時に 自分という意識が必然に重なり合うと 自分自身をじっくり調えることに繋がる事を知る。
余計なものは消え去り 必要なものが残ってゆく。ていねいに手が掛けられるものと生きることはよりそのものの変化と一緒に生きること。そして自らも一緒に変化し続けてゆく、ということ。

環境も変化し 時間も変化し続ける。
わたしもわたしの身の回りのもの達も移り変わってゆくのは ごく自然なこと。…なのかもしれない。

変化を恐れない。
変化とは その時間の流れの中で柔軟に変容しながら閃き生まれる 工夫と成長…と心得る。

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