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スピリチュアルで扱われる「統合」の捉え方。分かりやすく図式を通して読み解く。


スピリチュアルなお話しの中で使われる「統合」。これを分かりやすく図を用いて言葉にもされているものを見つけました。是非 御覧になってみて下さい。

自分以外の誰かの「言葉」を通し 物事を理解する、というのは ある意味 その人がどの程度までそれらの「理解」が進んでいるのか?また、人生 歩んできた時間を振り返りどんなことに関与し、その人の意識上でどんなことを取り扱い、 それまでの時間を生きてきたのか?何に関心があってどんな想いや言葉、imageがその人の(表面上では無く内面に)意識上に現れ、現実に現れてくるものがどんなもので、それらにどの様に対処し、自分の人生の多くの時間を使っているのか?…などなど 違いがあって当然で、…であるから、これらはその人 個人でないと知り得ないことであり、本当の意味で自分の進むべき道、何に今 取り組むべきか、というのはその人自身にしか分かり得ないことでもあります。

そして、他者とあることに対して理解を共有する、というのは 大変 根気がいることで、分かったつもりで居ても、ほんとうの意味で分かり合えていなかった、互いの真意を掴めていなかった…というのは 良くあることのようにも見受けられます。

皆が同じ様な意識を持って進んで行く、というのは簡単そうに見えて実は一方が自分の本意を押し殺しただ従っているだけだったり、もう一方では自分の本意に意を申し立てられなければ同意しているものと解釈してしまっている、そんな部分があって 決められた時間の運行を急いで行く必要があると 尚更 置き去りにされてしまう誰かの意、すれ違ったままの意識の状態、というものがあるような気もします。


どの部分を、自分が分かっていないのか?知る必要があるのか?それを自分が知るためには自分の内面に向かうための自分の時間が必要です。そういう人々の内面に向かわせるための時間をコロナ禍で与れられてきた人も多いのではないでしょうか。

納得していない、とか 分からない、は大切なサインです。スムーズじゃなくつまづく、…というのも、立ち止まる、というのも、必要なタイミングで現れます。ポジティブに見えることや良いことに見えるものに囚われる人を見かけますが、プラスに偏りすぎるとどうしてもマイナスを対称として生んでいることになっていることに気付いていない人もいるのではないでしょうか?個々の視点により感情的に「正しさ・善」に立てば、その対極にある批判的に捉えた「間違い・悪」を対極に存在させてしまうことになります。無数の視点は 無数の見方、現実の捉え方も無数に生じていることになっていて、ただ在る状態があるだけ。

見逃してしまう…というのは眠っている状態。「目を覚まして」…という言葉もスピリチュアルな世界ではよく目にする言葉ですが、自分が起こしている(想いや言動、行動によって)現実をよく観察して下さい、という意が込められているように感じます。


一つ一つ、自分のこころの内側(意識上)に上がってくる想いやimage…そこから 言葉が生まれ 行動を生むことに繋がっています。…そして、だから 目の前にその人の現実が立ち現れています。


世界的な変化変容が促されているこの時期、まったく新しい生活様式が試行錯誤の中 生まれ 新しい時代を創ってゆきます。個々の意識も新しい時代への変容を促されています。



大変お勧めの「統合(意識)」の解説のブログです。是非 ご自身で読み深めてみて下さいね♪

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