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『赦し』と 『慈悲』と、『寒山と拾得』と『白隠禅師』《2228字》

赦し…について どんな理解を得て 自分自身の意識領域を探索し 手放しが 起きていますか?



「嫌いな人を嫌いで い続けること」
「赦せない想いを 抱き続けていること」

…これって 
実は自分を傷付ける意識の状態に
なっています。

他者を嫌って攻撃しているはずなのに
実は自分を自分が攻撃してることになっている。

気分が悪くなるのは当然。

そういうものが自分の世界に現れる度に自分を傷付けるのではなく(キリが無く終わりがないので)、自分の世界にそういうものが現れても自分が傷つかないない意識の在り方とは どんなものでしょうか。

「慈悲の瞑想」の中に 
自分が嫌う人への慈悲の瞑想の言葉が
綴られています。

《慈悲の瞑想一部抜粋》

~前略~

私の嫌いな生命が幸せでありますように
私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように
私を嫌っている生命の悩み苦しみが
なくなりますように
私を嫌っている生命の願いごとが
叶えられますように
私を嫌っている生命に
悟りの光が現れますように

~後略~
日本テーラワーダ仏教協会

*フルバージョンは テーラワーダ仏教教会ホームページ内に、あります

この 『嫌いな人』『赦せない人』への 自分の心の状態を 自分の人生の永い時間を追って観察してゆくと どうして 「嫌い」「赦せない」感情が生まれてしまうのか…に気付ける時がやってきます。

答えは 自分の心の中にあって、今 理解出来ないことがあったとしても、その人の繰り返される経験は 自分に必要なものを教えてくれることをします。

人形(ひとがた)として 誰かが教えてくれるものではありません。おそらく、本の中の言葉や誰かが口にしていたとしても その当人が経験してることでないと本当の意味で『分かる』『理解する』実感を得るのは難しい。

三次元で肉体を持ち 自分と他 が分かれ、外側に何かが現され 目に見えやすくすることが自分の内側を映す事になっていて、外側に見るものを 自分が観て自分を探究する仕組みがある。…ってことが腑に落ちてきたのは、私も 人生を だいぶ生きて来てからです。

色んな意味で…人生というのは困難があったとしても その中に発見出来る 隠されているものがあるから、それらを見つけた途端に 目の前を明るく照らすものとなっていきます。

そういうものを掴めた時、人生というのは時間経過によって色んな解釈が出来る段階というのがあって まさしく 意識の階段を 一段一段上がっている実感があって おもしろいな~とつくづく思う。

昨日あるドラマでのセリフを 聴き入っていました。

このタイミングだから
心に沁み入って来ました。

寒山と拾得のやり取りを思い出しました。

寒山曰く

「もし世の人から そしられ、欺かれ、辱められ、笑われ、軽んじられ、蔑まれ、騙され、憎まれたらどうすべきか?」

拾得は答えます。

「ならば ただ忍び、相手に譲り、従い、避け、耐え、そして敬え。

相手に構うな」…と。

一つ加えましょう。“相手を心から愛せ”…と。
中国ドラマ 「運命のキスをお願い」より

この言葉は 20代の女性が口にしています。
驚きです。


ドラマで描かれるのは その国の現代社会とか文化を反映するもの、と私は捉えています。中国やタイの文化やそれらの国の人達の 物事の捉え方や 生き方、どんな現実を生きているのか…そんなことが観えて来たりします。日本とは明らかに違う。拡大した世界を感じる。

どんなものにも教えられるものがある、と
物事を 良い・悪い、ポジティブ・ネガティブ、心地良い・悪い…で判断して終わりにせず、その先を観てみようとすると面白いものが観えてくることがあります。自分が経験するから 実感出来るようになってくる。だから『分かってくる』もの…って 実は多いのです。


以前 「白隠禅師の行いに学ぶ」と題した記事を上げました。これら 私が最近文字におこしている『赦し』『慈悲』『寒山と拾得』『白隠禅師』は……全て みな 同じようなことを共通のメッセージとしています。


戦争があったり 奪い合い、競い合いの社会の中では 多くの人達(私も含め)は ネガティブな感情のまま 処理し切れず心の奥に溜め続けてしまって来た、そんな永い歴史があり 知らず知らず引き継がれてしまうものがあります。

ネガティブな感情に
人の心が侵襲されることがあったとしても…

どうぞ その感情に留まることをせず、
その先に在るものを あなたにしか見つけられないものを 探してみてください
ね。


「何故?」「どうしてだろう」
「(まだ)理解出来ない」…の自分への問い


やがて自分自身へと 
それらを読み解いてゆく
時間の始まりの言葉になります。

分からないことがあったとしても
それは今の時点でのわたしが経験していること。

自分の経験が これから先に
沢山のことを 教えてくれることをします。

過去の経験であったとしても理解が進むことで 腑に落ちてくるものを掴める時が来る。

すると 過去に解釈していた状態が 変わるので
それら過去は 上書きされ、解消され手放されていきます。

そして……過去のネガティブな状態が解消された今を生きてゆくことになるので、『理解を経た 過去に苦しめられていた自分は 全くそれを経験しなかった実態ある自分に変わってゆきます』

……これが『実存的変容』へと 繋がってゆくものとなっています。


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