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振り返れば あっ という間の時を 生きている〈実存的変容の実践・エビデンスに囚われない領域を正しく観察して捉える〉《1593字》

うちの旦那様は 二度ほど 自宅から救急車で搬送されています。その都度 急激に状態が 刻々と移り変わるので 驚くのですが、1度目より2度目の方が 私も度胸が座って来るし、状態が どんな風に動いて行くのかも 何となく分かっているので その対処というのは やっぱり回数重ねる方が 断然 スムーズだし 余裕が出てきます。

何も分からない状態から不安が生じると あたふたと 足踏みしてしまうこともあるでしょう。私は幸い(?)にも 看護師でもあるので、ある程度 少し先の未来が想定出来ていて 覚悟をもって今に居続けているから、急激な変化の状態に居ても、よく観察しながら形として捉え続けて居れば、その変化にこちらも対応する様に変化してゆけば良い、というのが分かっています。

私自身の出生図が語るように、自分が向かわなければならないことに関しては 未知の領域に踏み込む時に生じる 不安や恐れは 私の場合 早いうちに手放されるので 向かうべきものに 向かって行くし、決断し実行するのも比較的 早い方だと思います。決断するにはやっぱり良く観察することが欠かせません。

常に観察し長く生きていると、刻々と物事が変わって行く様子も 医療の領域に限らず 何となく分かって来たりします。きっと私と似た状態にある人も多いのではないでしょうか。

現状を観察した後、未来に起こりうる状態を止めたいのか、また 転換させたいのか、どうしたいのか、当人は どう未来を描くのか…。当人の生きる姿勢とか意思、というものが とても大事だと 私は主人とその都度、なにかが目の前に現実として生じると 物事は私に語りかけるから、私も主人に問うことをする。

主人は 現実に現れてくるものを 科学的に捉えようとしていきます。だから目に見えないもの、実証されていないものは 無い、と捉えやすい。これは仕方ない。実証されてきたものを土台とする必要のある仕事をして来た人ですから、その手法というか パターンは必然に染み付いています。私は その現象が生じる目に見えないカラクリを観ようとします。

目に見えない領域は、特に その人 個々のパターンの細やかな実証データなどは無いので、自分の感覚を通して実感しつつ それをもとに、色々と試してゆく手法を取ります。これは個々に合った創造を 夫と一緒に共同創造してゆく感じ。(↔主体は主人ですが、問いを投げ掛け目の前に見える形として主人の真意を打ち出せる手助けをするのが私の役目です。)

エビデンスに囚われない、表現出来ない領域を よく観察して 仕組みとかパターンから生まれるものを前向きに変換させてゆくことが大切だと私は感覚的に認識しているので その仕組みとかパターンに(主人自身の力で)手を入れるためにそれを実践しています。

意識の領域は捉え難いと思われがちでしょうが、同じパターンが何度か作動すると 自覚しやすくなって 捉えやすく、だから それを変化させやすく壊すことも出来るようになる。

…すると

パターンを通した結果というものもおのずと変わってくるものです。


『視認』という言葉があります。その字のごとく、目で見て確かめること。目で見ることが出来るものは ある意味 捉えやすい。

自分の心の状態とか 意識の状態、どんな構造になっているのか、生まれてこのかたどんな負荷が掛かると、どんな反応が自分に生まれてくるのか…etc というのは 目に見えない領域なので捉え難く、だから 手が付け難い パターンを崩し難い 自分のやり方とか生き方を変え難い状態が必然に生じているように見えます。


この目に見えない領域に手を入れるのには やはり何らかの出来事が生じる必要があって 特にネガティブに見えることから 人は多くを学び 成長に繋げているように私には これまで多くを見て観察してきて 自分自身でも実感し成長を促されて来たと感じています。

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