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奈良クラブを100倍楽しむ方法#018 第19節対ガイナーレ鳥取 ” Hallelujah"

 試合終了後の”ヒーロー”インタビューでマイクを握ったのはゴールキーパーの岡田慎司選手だった。今日に限っては”ヒーロー”という言葉の意味がずいぶんと違って聞こえるかもしれない。それでも、結果への悔しさを隠そうとせず、言葉を詰まらせながら観客の前に立つ岡田選手は間違いなく”ヒーロー”だった。彼がゴールマウスの前に立っていなければ、もっと悪い結果だって十分にあった。彼のスピーチには、「言ったこと」以上に「言わなかったこと」のなかに真意があり、聞いている人はそれが十分に伝わったことだと思う。この一瞬だけでも、今日ロートフィールドに足を運んでよかったと思わせるシーンだった。

しっかりと客席に視線を送りながら話す岡田選手

 2点を先行してからの同点。今年、この手の試合を何度見たことだろう。試合の展開への改善はあるにせよ、失点の多くが止めようのない類のゴールであることも苦しさを引き立てる。この日の2失点目のフリーキックも完全にノーチャンスだった。完璧なコースに蹴り込まれた弾道は、岡田選手の手をかすめてゴールネットに吸い込まれた。壁を越えた瞬間に「決まった」とわかるキックだった。どうしようもなかった。

私はベストを尽くしたが、十分ではなかった
感じなかったから、触れようとした
私は真実を語ったが、欺しに来たのでは無い
すべてが、うまくいかなかったのに
私は主の歌の前に立とう
私の舌にハレルヤを乗せて

レナード・コーエン”ハレルヤ”

 レナード・コーエンという伝説のシンガーソングライターの名曲「ハレルヤ」は救済をテーマにした歌だ。日本の多くの人が誤解しているが、宗教における救済とは、とくに一神教にかんしては、「期待した結果を得ること」ではない。本来の救済は「理不尽な災難を受け入れること」にある。「どうか上手くいきますように」ではなく、「どんな結果になっても受け入れますから、そのための勇気をください」と祈ることが救済なのだ。まさしく、岡田慎司選手の今日の佇まいこそが救済だった。

 奈良クラブのサポーターとしては、この日の采配には思うところがある。ただ、それをしたからと言って、勝敗がどう変わるかはわからない。多分、今すべきことは、選手や監督が感じている悔しさを自分の悔しさのように想像して、噛み締めることだと思う。悔しい気持ちは皆同じだ。そこに勝ち負けはない。だからこそ、前を向いて進まなければならない。

 と、こうして書いていて「一番悔しがっているのはお前じゃないか」と自己言及的にツッコミをいれたくなるぐらい、この試合は悔しい試合だった。次の試合に向けて、それでも僕(たち)は「ハレルヤ!」と歌いながら進まなければならない。日本語に訳せば「それがどうした!」みたいな意味が一番ぴったりじゃないか。この1週間は、「それがどうした!」と何度も反芻しながら、横浜戦に向けて気持ちを高めていこう。

この試合で前半戦の折り返し地点だ。だが、それはどうということはない。まだ未完の旅路は半ばにも満たないのだ。犬は吠えるがキャラバンは進む。


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