「普通の人」は政治には関われないのか(批評:「なぜ君は総理大臣になれないのか」)

(注意:ネタバレを含みます)

公式サイト:http://www.nazekimi.com/

小川淳也という衆院議員について、名前と顔こそ一致するものの、僕はほとんど知らなかった。

彼を見て思うのは、彼は真面目な熱血漢ではあるが、正直どこにでもいそうな普通の人だということだ。ここでいう「普通」とは、ほどほどのバランス感覚があり、自分で物を考え、人並みの倫理観を備えて、社会貢献は大事だと考える一市民という意味でだ。

この作品は、そんな「普通の人」が、引き継ぐ地盤もなければ、政治とは何のゆかりもない状態から、政治家を目指し、そして政治家になり、苦悩する姿を描く。

そして観ている僕はこう感じる、なぜ彼はいつもこんなに苦労しているのか、と。

すでに衆議院議員を5期務めながらも、彼は選挙区では自民党の世襲議員を相手に一度しか勝てず、比例復活で首をつないできた。そして、総理大臣はおろか、まず与党でもない野党内で主要な役職にもつけず、党内出世できていない。挙げ句の果て、世相を読みきれず、「希望の党」という希望の無い泥舟に乗ろうとしてしまった。

一見すると、愚直すぎて、政治家に求められるセンス、したたかさといったものを持ち合わせていないようだ。

ここで僕は気づく。

国民から政治家に求められるもの(ここでいえば、信念や倫理観)と、政治家に必要なもの(したたかさ、策士的才能、権力欲)のズレである。

彼の両親や家族は政治家であろうとする彼を一生懸命支えるが、決してそれが彼のベストな選択肢ではないと思っている。彼のためになんとか集まった支持者たちを前に彼は選挙区での落選を毎回謝罪する羽目になっている。

この作品は、普通の人が政治にチャレンジして苦悩し、ある意味、普通ではない人が政治家として成功している様を垣間見させる。

ただただ残念なこの国の選挙、政治の姿を、一人の平凡な野党議員を通じて観た。

この作品は決して政治家・小川淳也の実績や人柄の素晴らしさを描こうとはしない。淡々と、数年に一回彼の進捗状況を撮りためたものをまとめただけのように見える。ドキュメンタリーではあるが、政治・社会ノンフィクションとして、必要な要素や方程式を満たしていない(元放送業界にいた人間が見れば、当然入れるべきカットが多々ないことが分かる)。もちろんテレビ的な方程式をこうした作品に求める必要はない。

ただとにかく、彼自身に寄り添おうとしないのだ。
挙げ句の果てに、「政治家には向いていないんじゃないですか」とまで浴びせかける。

ドキュメンタリーなので、フィクションにはない、作品の体裁をまとめることの難しさは多々ある。現実の事象は台本どおりには全く展開しないからだ。しかし、それでも何を撮影して、何を撮影しないか、という主観的な取捨選択によって、ドキュメンタリーの骨組みと方向性をまとめることはいくらでもできる。しかし、この作品は、それすらも放棄して、凝った編集もなく、「小川さんを10年間ぐらい撮りためてました」としか言ってこないのだ。

もっと彼の活動を見させてほしい、彼の政治家としての実績を見たい、しかし、どうやらこの作品はそういった要素に興味はないようだ。

結局、「普通の人」が選挙にチャレンジして、なんとか「政治家」にはなってみるが、大した権力も持てず苦悩する姿に終始する。

そして、それは政治という世界がいかに「普通ではない」場所で、我々とかけ離れたところにあるかを明らかにして、皮肉にする。

この作品を見て、あなたは日本の、永田町の選挙や政治にチャレンジしますか。せいぜい考えてみてください。

そう突き放してくる作品である。

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