書評:「人新世の『資本論』」

昨年から話題を呼んでいる流行本を読んでみた。なんといっても作者が同世代ということで、自分と同い年でこんなことを書ける人が現れてくることに少し焦りを感じつつも読んだ。

私たちが当然のものとしてみなしている経済成長と資本主義って本当に素晴らしくて、これからも続けていいものなんだっけ?という問題提起。資本主義や成長を追い求めることは、自分たちの生活圏とは遥か彼方の途上地域の犠牲に成り立っており、これまではその地域にツケを払わせておけばよかったのが、いよいよ限界を迎えつつあり、資源不足や異常気象というしっぺ返しを私たちの生活圏に及ぼすようになった。

もちろん、環境対策として、欧州をはじめとする先進国が様々なイニシアチブや政策を打ち出しているものの、作者は小手先の対策として懐疑的だ。

”そもそも電気自動車に代えたところで、二酸化炭素排出量は大して減らない、バッテリーの大型化によって、製造工程で発生する二酸化炭素はますます増えていくから”

飛行機に乗って世界中を旅し、好きなだけ消費できる、つまり金があればなんでもできる時代はもう終わってしまったのかもしれない。奇しくも新型コロナのパンデミックは、資本主義を追求して拡大したグローバリゼーションの負の側面(効率的なウイルスの拡散)を今我々に直面させている。作者は、生活の規模を1970年代後半レベルに落とすことが必要という。

”生活の規模を1970年代後半のレベルにまで落とすことである。その場合、日本人はニューヨークで三日間過ごすためだけに飛行機に乗ることはできない。解禁の日に空輸したボジョレーヌーボーを飲むこともできなくなる、だが、それが実際にどれほどの影響をもたらすというのだろうか。そう、地球の平均気温が3度上がることに比べれば、些細な変化に過ぎない。3度上がれば、フランスのワインは生産不可能になり、永遠に飲めなくなるのだから”

コロナで好きな時になんでもできなくなってもう1年。それでも私たちは日々生きていけている。そういう意味では、コロナも自然が人類にもたらした「しっぺ返し」の一つなのかもしれない。

「脱成長」というキーワードには大賛成だ。蓮舫の「1番じゃなきゃダメですか」じゃないが、成長できるときは成長すればいいけど、環境を犠牲にして得られる成長って何なんだろう。誰もが絶対に満たされることはない資本主義という「人類総チキンレース」は、そろそろやめにして、もろもろサステナブルでスローな社会に転換しませんか、という作者の主張。こんな論考がでてきたのも時代の必然かと思う。

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