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日本と欧米豪の種牡馬選定の感覚の違いと、欧米豪における騙馬の活躍

日本では去勢した牡馬、すなわち騙馬が活躍することは珍しいが、海外では騙馬が活躍することは珍しくない。「20世紀のアメリカ名馬100選」では4位ケルソ、8位フォアゴー、22位ファーラップ、23位ジョンヘンリー、29位エクスターミネーターを始めとして11頭が騸馬である。近年でも例えば2012・2013連続で米年度代表馬になったワイズダンなどデビュー前に去勢された活躍馬の例には事欠かない。豪州では並の馬は皆騸馬にされるほどである。

日本にいるとこれは奇妙に感じられる。(こと日本においては)競馬はもともと品種改良のため強い馬を選ぶためにあるのではなかったか。競走で勝った馬が強い馬であり、その子を残すのが品種改良というものではないか。サラブレッドの競走馬ならば、現役の競走を引退してから種牡馬生活が始まり、種牡馬になれない馬が去勢されるものだ――という感覚になるだろう。

しかし、これは馬のごく一部の側面を見ているに過ぎない。馬術や障害競走の場合は、実用に供する場合は事故防止のため去勢するのが当たり前であり、去勢してから「現役」生活が始まるのである。乗馬馬を生産することを考えると、種牡馬の選定は「次代に良い現役馬を生み出しうる、現役に行かない馬を選ぶ」という基準になる。

このことは、同じ畜産でも豚や牛など食肉になるものを考えればわかりやすいだろう。よい肉質の遺伝子を持つ雄牛を種牛にするといっても、肉にしてしまったら種牛にはなれない。このため種牛の選定は子供を肉にして統計的に判断するしかないし、後代に遺伝子を残さない子供たちを競わせるだけでも種牛の選定は成り立つ。同様に、子供が全部騙馬でも種牡馬の選定はできるのである。

欧米豪では乗馬の実需は小さくなく、クォーターホースや各種のトロッターなど、日本では生産されない非競走馬もサラブレッド以上の頭数が育成されている。極端なところでは、牧畜産業では不整地を走破でき小回りが利き家畜の中に分け入ることもできることから、現代でも数千人単位のカウボーイが米国雇用統計に計上されている。

これらの国では、自動車発明以前は馬車馬や軍馬は産業的に利用されていた。そのような環境では「馬車馬が発情して交通事故を起こしたら誰の責任?→去勢しなかった馬主の責任」というような感覚が当たり前であり、去勢してからが「現役」というのは歴史的にもそうであったと言える。軍馬も同じであり、馬が戦場で発情しようものなら命に係わる問題であり、実用に供するには去勢するのが当たり前であった(江戸期まで去勢を嫌っていた日本とは感覚が大きく異なるところである)。

この感覚で言えば、古馬になれば牡馬はみな去勢されるのが当たり前であった。また、この感覚を適用すると競馬の見方も変わってくる。素朴に見れば競走させて強い馬を選びその子を繁殖させることになるが、大人の馬は皆去勢されているという感覚で見れば、どの種牡馬が強い馬を生産できるかを試すために子たちの間で競走をさせている、という見方になるだろう。その感覚で言えば、極論すれば騙馬だけでレースをしていても目的はある程度は果たせてしまうのである。

そんなわけもあって、欧米豪では種牡馬を選ぶのに血統+2~3歳の成績だけで決める傾向が強いように思われる。例えばサンデーサイレンスイージーゴアは直接対決の成績ではサンデーサイレンスのほうが上だったが、種牡馬としての人気は血統の良いイージーゴアが遥かに勝った。もちろん後知恵で言えばサンデーサイレンスは種牡馬として大成功したわけだが、日本の種牡馬選定や去勢に対する感覚がなければそれもなかったのではないかと思われる。





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