グルメ漫画覚書:美味しんぼ

 突発的にグルメ漫画の覚書を書きたくなってきたので、やってみることにする。やろうとすると美味しんぼやクッキングパパを避けて通れないので、とりあえず美味しんぼから始めてみることにする。

 最初期の美味しんぼは原作の雁屋哲のもともとの作風、つまり学生運動を美化したような漫画の延長線上にあり、スノッブ的な海原に対して庶民的な山岡がギャフンと言わせるというスタイルをとっている。しかし連載が進むにつれ原作者が海原寄りの立場に変わり、海原勝利(山岡敗北)時も、少年漫画的な成長への試練ではなく、増長した若造にお灸をすえるに近い表現方法になっていく。この点は、権威を倒せと言っていた側が年齢を重ねヒットと飛ばしたことで権威側に移行したことを示しているようで興味深い。連載末期にはヒロインである栗田さんが「稀に見る性格極悪女」との読者評を得るに至るのだが、これは学生運動の闘士としての作者=山岡と権威側に立った作者=海原の矛盾を両者の間に立つ栗田さんに吸収させようとした結果ではないかと私は見ている。

 グルメ漫画としての美味しんぼは、海原のモデルに北大路魯山人を据えたため魯山人の思想が色濃く表現されるようになった、というのが特徴だろう。例えば「素材の味」蘊蓄垂れは世に蔓延っているが、その原型はおそらく魯山人であろう。青空文庫収録の作品群でもその性向は強い。ただ、彼は戦前からこの手の蘊蓄を言ってきたという点で言論人として先駆者的である。

欧米人が日本のように、刺身を食う習慣のない理由は、いうまでもなく、生なまで賞味できる魚がないからであろう。米人でさえ生のオイスターを自慢で食うところをみると、うまければ生でも食う証拠である。今に諸外国の人間が日本に来ることは、日本の刺身が食いたいためである、といわれるまでに至るであろうことが想像される。

――北大路魯山人「欧米料理と日本」1954

終戦から10年とたたず食糧難が抜けきらない、かつ冷蔵輸送も一般的ではないこの時代に、こう断言したことは、後に寿司が世界的食品となることを鑑みれば、先見の明があると言って構わないだろう。

 また、これは個人的な意見だが、実は彼は世界の料理史の中でも重要な人物ではないか、と思わされる部分もある。彼は陶芸家であり、盛り付けなどの面ではクリエイターとしても一定の貢献をしているからである。

 魯山人の評では、フランス料理は油脂を使った重いソースに特徴があり、加熱が腕の見せ所であるのに対して、日本料理は素材の味と鮮度を重視し、水が大事であり、刺身が貴ばれるように加熱は副次的手段で、盛り付けに気が配られるといった対照が見られるとする。西欧では仏cuisiner、英cookなど調理と加熱を同じ単語で呼ぶのに対し、日本料理では割主烹従とされるので、故無しとするところではない。ただそれも単にフランス都市部で新鮮な材料が手に入りにくかったという部分は否めず、第二次大戦の時期に物資不足と地方疎開が重なり、戦後は健康ブームとなりバターが害悪のように言われ出したこともあって、油脂が少なく鮮度を貴ぶ地方料理の復興、すなわちヌーヴェル・キュイジーヌが起こっている。それらで中心的役割を果たしたポール・ボキューズやトロワグロ兄弟は日本に縁が深いため日本料理の影響がないとも言えないが、地方料理からの独自発展の寄与が主だろう。しかしながら、こと盛り付けの部分に関しては、歴史的な写真を見る限りは相当時期まで懐石料理等が先導していたように思われる。英語Wikipediaの盛り付けの項もヌーヴェル・キュイジーヌと懐石料理のみ特記されている始末である。宮廷料理に関しては宮廷フランス料理の代表的料理人Antonin Cremeの記録集に取り分け前提の大皿にゴテゴテとした装飾で盛り付ける方法が記されているが、個人ごとに盛り付ける方法は近代化によって発展してきたようで、今の世界トップレストランに見られる皿の余白を生かした盛り付け方は、余白に美を見出す水墨画の技法を思い出させるものが多い。

 ちなみに、先の引用は1954年の欧米味めぐりツアーの冒頭だが、このツアーではコーヒー、アイスクリーム、ビール、ベーコンなど外国発祥の食べ物については素直に外国に優れたものがあると認めているし、新鮮な食材を供しうるレストランは素直にほめており、単に外国に対する敵愾心のみというわけでもない、と言う点は言い添えておきたい。


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