淡々と...

ここ最近の投稿は, どうも堅苦しい内容が続いていたように思われるので, 今回は淡々と何かを描こうと思う. しかし, 注意されなければならないのは, 何かを書くということは, 何かを書かないということに等しいという命題が真であるという事実である.

1 徹底的な堕落

皆さんは, 人生の中で, 自らにとっての「徹底的な堕落」を経験したことがあるだろうか. 徹底的な堕落とは, 堕落の中で, これ以上は質的にも量的にも超えることができない, と判断されるものである. たとえば, 相手に同意を得ずに, いきなり性交渉を始めてしまうというのは, 堕落の一つではあろうし, その人にとっては徹底的な堕落になるのかもしれない.

しかし, 徹底的な堕落というものは, およそ人間にできる所業ではないように思われる. まず, 人間は自らの体験を適正に評価することはできない. 評価する際には必ず, 拡大解釈か過小解釈のいずれかになるからだ. これは, 記憶を思い出そうとする時にどうしても, その記憶があった当時の出来事以外の出来事が, その人間にとって経験されていることから説明されるだろう.

堕落せよ!堕落せよ!...それが人間になる道だ!

こんなことを確か, 坂口安吾という人が述べていた気がするが, 私はこれに賛成である. なぜなら堕落しきれないからだ. 先に述べておいた性交渉の例であるが, 仮にそれが犯罪になったとして(おそらくなるだろう)それでその人の人生そのものが奪われることにはならない. 身体的拘束や社会的評判の没落というものは受けるかもしれないが, その程度である. つまり, 自らの体そのものの崩壊が起こるでもないし, 自らの精神的活動が邪魔されるということもまずないのである.

2 偏狭的な自己愛

人間には自己愛という厄介な愛情がある. 確かに人間が人間として生きるためには自己愛という感情は必要なのかもしれない. けれど私が思うのは, 自己愛というものは普段から自覚されるべきものではないというものである. 普段から自己愛を感じている人はナルシストといわれ, 他者を尊重するということができなくなるだろう.

自己愛とはおそらく, 存在はしているが日常生活においては意識されるべきものではないだろうと考える. 自分の存在が精神的にか肉体的にか, 危機に陥った時にこそ, 自己愛は感じられるべきものだと思うのだ. たとえば, 自分のせいで自分の財産の一部が, 不適切な形で失われた時, 自分は自己愛を感じるだろう. 「もう二度と, 財産について甘えようとしないことが大切なのだ」という形の自己愛を感じるかもしれない.

自分が自分を愛するということ...よく考えればこれほど気持ち悪い愛はないように思われる. まず, 愛とは徹底的に他者との関係においてのみにしか生まれない感情である. キリスト教においては, 愛は, アガペー, フィリア, エロースという3種類に分類されるのであるが, これらはすべて他者(神を含む)との関係によって生まれるものである. とすると, 自分が自分を愛するためには少なくとも, 自分と, それを愛する自分との分離がなされていることが必要であることになる. つまり自己の分裂なしに自己愛は発生しないという結論になる気がしてならないのだ.

3 The Economy is us!

突然で申し訳ないが, MMT(現代貨幣理論)に関する話をさせてもらいたい. MMTに関していえば, まず全然知られていない★そして次に, 知られている界隈においても, 誤解されたMMTが流布してしまっている(典型的なのは, 藤井聡, 井上智洋のMMT解説本を端緒とする, 日本版MMT(名付け親は池戸万作)である)状況である.

この日本版MMTの流布はおそらく, その原因の一つに, 経済そのものへの理解ならびに, 人間と自然への理解の誤解があるように思われるのである. たとえば, 人間は自然と対立するし, 自然は人間と対立するという考え方は, 自然も人間をも知らない間違いなのであるが, これは日本版MMTを信じる人にはきっとわからないのである.

次にもっと重傷なのは, 経済のことを人間の外部の世界であるというふうに誤解している節があるということだ. たとえば, インフレ率2%目標を掲げれば経済成長がなされるなどという妄想は(日本版MMTに広く共有されているが)経済を人間がコンロトールできるというあり得ない思想に基づいているのである.

MMTの基本的姿勢は, The economy is us であり, 経済の中に, 自然があり, その中にさらに人間がいるという姿勢である. つまり何が言いたいのかと言えば, まず第一に, 人間と自然とが別存在であるという思想は間違いであると認識するのがMMTなのであり, 人間は経済をコントロールするのではなく, 経済の中に生きて経済を作るという視点なのがMMTであるということだ. また, 日本版MMTがまずいのは, それが個人主義的なものであり, 人間が社会的動物であるというアリストテレスの天才をぶっ殺すものになっているからだ(池戸万作さんはベーシックインカムなどをMMTから援用?して導入しようとするが, そもそもMMTの思想からはベーシックインカムは出てこないのである)MMTは, 集合的なものなのである. つまり, アリストテレスの天才を基本とするものなのである. だから, JG(就業保証)を提案し, 人と人との関わり合いを生活が保証される形で提供するということを目指すのである.




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