フロマートカの言葉メモ その2

この記事に続いてフロマートカの言葉をメモしていくことにする。

フロマートカ「信仰が弱ければ弱いほど,恐怖は増大する。愛が少なければ少ないほど,恐怖はより有害になる。信仰と愛は,人の心から恐怖と恐れを取り除く(ヨハネの手紙一4章18節)」

フロマートカ「信仰は人間を充実した真の生に導き,歴史を無視することを禁じ,この世の嵐や混乱から逃げることを妨げるが,まさにこのおかげで人間を歴史から解放するのである。信仰は,自由,喜び,奉仕をもって,今日の生活の嵐と混乱を行く人間に付き添う」

フロマートカ「人類の科学および技術の進歩とともに,新しい危険は増大し,それとともに私たちの責任感も重大になり,大いなる精神的賢明さと真剣さが必要になる。技術はまた人間を奴隷化することもある。それゆえ,信仰と愛における真の自由を求める私たちの闘いは,差し迫ったものなのである」

フロマートカ「自分の罪,罪悪,責任に気付き,認めた時に初めて人は,ほんとうに自由になる。悔い改めとは,人の魂の解放であり,新しい始まりへの勇気である。悔い改めは信仰や救済の前提ではなく,それは己から,誤った自己愛や名声からの解放である。悔い改めとは,人々は私に何も借りはなく,私が周りの人すべてに借りがあり,自分は何も要求する権利はなく,自分は貧しいけれども,同時に十字架に架けられた者の貧しさと無力の中で豊かである,と意識することである(コリントの信徒への手紙二8章9節)」

フロマートカ「神の言葉は密かにではあるが,何よりも強力に,現実的に作用する」

フロマートカ「神の言葉は絶えず新しい現実をつくり,絶えず人々の耳目を開き,人と人との距離を狭め,高慢さやエゴイズム,慈愛のなさや妬みをへし折り,情熱や怒りを抑え,こうして誰もがはめられている足枷を外す」

フロマートカ「私たちは人間性を二つに分けることはできない。つまり,世俗の人間性を聖堂や教会の壁の外に置いて,精神的な人間性だけを持ち込むといったことはできない。私たちは肉体の中に生きている,それは,地上の生のあらゆる堕落,弱さ,悩み,そして希望を共有しているということである」

フロマートカ「教会とは,信者が自分自身,自分の関心や特権,自分の繁栄や目的ばかりを考えるところではなく,人の子が道に配した人々のことを考える場なのである」

フロマートカ「神は信仰告白者を,神の言葉を信じた者を,神の言葉に仕え,その道を理解する者を信頼する」

フロマートカ「イエス・キリストを信じることは,人間を,隣人を,どこにでもいて,その人の元に無限の愛に包まれた神自身が訪れる人を,常にしっかりと見つめることだということを忘れた人は,福音を理解できない」

フロマートカ「福音は,自身の利己的な関心のため,人間のいわゆる宗教の必要性を満たすために,あるいは自分の夢想による神々や小神,に帰依する人間の宗教を打ち壊す。福音は,真の神が人間になり,人間性の本質,堕落,さらにまた栄光を示すところへ連れていくために,人間を宗教から解放する」

フロマートカ「福音は,他人に対する人間の責任を呼び覚まし,人間同士の障害を取り除き,彼らをその時代の社会での仕事場に導くということである。福音信仰告白者の信仰心は,強固で明確である。見解がぶれたり,不安,疑念,絶望の間を彷徨ったりすることはない」

フロマートカ「最高のものでも,ゆがめれば,最低のものに転じることを私たちは知っているはずである」

フロマートカ「ここで言われる弁証法的な形態の物質主義は,人の自由,正義,尊厳は,人間が人間を隷属させることがないという人間間の社会および経済関係を再構築しない限り確保されない,という確信において育つ」

フロマートカ「真の教会はどこにでも存在する。いかに可能性のなさそうなところでも,素朴でほんもので純粋な福音信仰告白者が悔い改める責任感を持って生き,周囲にその責任感を広めるならば。また赦しを受け入れ,周囲の人々と赦しの関係をもって生きるならば。また自己から解放され,内面的な自由において外面的な自由のための前提条件をつくるならば。また喜ばしい感謝の念に満たされて家族,地域,自分が所属するあらゆる共同体を喜びと喜ばしい希望で満たすならば」

フロマートカ「私たちはひとりひとり,隣人や兄弟の場所とは別の,自分の場所を持っている。私たちはひとりひとり真剣に聖書の預言を聞き,預言と折り合いをつけなければならない。しかし同時に,私たちは互いに助け合うことができるし,そうすべきである」

フロマートカ「他人に善意がないと嘆いて,自分の被った傷ばかりを見せるのは,卑怯と言えよう。私たちの間にかかる霧を晴らし,私たちの環境に生えている雑草を刈り取るために,自分の側からあらゆることをするよう肝に銘じるべきである」

フロマートカ「信仰は不安を取り除き,息苦しさを克服し,闇や,足を踏み入れられず暗い茂みしか見えない場所にも光を投じる」

フロマートカ「キリストの勝利は死,時,空間に対する勝利である。キリストの十字架は現在の事実であり,その勝利はキリストの力を保証するだけのものではなく,人の生への絶えざる勝利の介入であり,死,運命,暗い悪の力,罪,悪意の絶えざる克服なのである」

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