フロマートカの言葉メモ とりあえず「その1」

ヨゼフ・ルクル・フロマートカという人物がいた。この人物はこの記事の執筆者たる私にとって,少なくともキリスト教プロテスタント神学を学ぶ上での決定的な人物の一人である。どうして決定的であると思っているかについてはここで述べることをしないが,決定的であるということの理由説明ができてしまう時点で,それはもはや決定的ということではなくなってしまうからであるが,フロマートカの色々な言葉を紹介していきたいと思う。

フロマートカ「フィールドはこの世界である」

「何が起きるかを推論したり, 明日や明後日のことについて無駄で無益な推測をするのは, 私たちの関知したことではない. そうではなく, 私たちは従順に自分が置かれた場所に立ち, 自分の信仰の光の中で出来事を理解し, 来る日ごとに定められた務めを行うよう, 呼びかけられている. この開放性と従順な備えの覚悟が, 真の自由と表裏一体のものなのである. これらがないところには自由もない」(フロマートカ編著『宗教改革から明日へ』平凡社, 邦訳394ページ)

「聖書は観念の書物ではなく, 天と地の間の出来事についての証言である. 聖書は, 歴史を歴史自身によって説明できないことを私たちに示している. 歴史の連続性は神の介入によって途切れる」(フロマートカ『神学入門』新教出版社, 邦訳120ページ)

「神の言葉は単に人間の後を追うだけでなく, 実際に人間のところに降り立つ. けれどもそれは, 単に人間の心, 人間性の最も深い本質に浸透するという意味ではない. 単に良心を刺激し, 人間が抗えない形で, 避けられない形でその内面に影響を与えるという意味ではない. 神の言葉が人間の場に降りるということは, 人間になる, そう, 肉体になるということなのである」(フロマートカ『人間への途上にある福音』新教出版社, 邦訳156ページ)

フロマートカ「信仰を持つ者は常に前を見る」

フロマートカ「最も大変な闘いの時代に築き上げられた作品に注目しなければ,どうして歴史における自分たちの生の意義を理解できよう」

フロマートカ「私たちより過去に信仰に生きた者たち,そう,すでに去った者たちは,私たちの前を歩いている。私たちは彼らを真似るのではない。彼らの言動をただ繰り返すのではない。そうではなく彼らが眺め,耳をすまし,彼らが耳を傾けていた方向を眺めるのである。こうすることで,歴史が私たちの生きた現実になる。彼らの強力な言葉を現実の行為に鋳直すことができる者のみ,歴史を理解できる」

フロマートカ「内容のない陳腐な言葉は,助けになるどころか,むしろ私たちを打ちのめし,迷惑なだけである」

フロマートカ「真理に与する,とは,真理に従い,死ぬほど真剣に真理を捉え,服従の奉仕において,真理に捧げることである」

フロマートカ「歴史の変化は,私たちの預言や教会の本質を何ら変えるものではない。私たちが信じている神の言葉は,歴史より上の支配者である。しかし同時に私が強調したいのは,周囲の出来事に対して怠惰に無関心になり,歴史の変動を無視してあっさり見過ごしてしまえば,私たちは歴史の力に隷属し,手玉に取られてしまうということである」

フロマートカ「歴史的,政治的,国際的,および文化的出来事に対して自分たちが下した審判を,純粋な信仰の審判とみなすのは,勘違いである」

フロマートカ「私たちにできる唯一のことは,私たちの罪がどこにあるのか,私たちの信仰が純粋であるのかどうか,神への服従が本物であるのかどうか,私たちの奉仕愛が十分に燃えているかどうか,私たちの希望が十分に喜ばしい者であるかどうか,を絶えず真剣に自問することである」

フロマートカ「イエス・キリストは「然り」であり,決して「否」ではない。聖霊における生命は喜びであり,決して嘆きではない」

フロマートカ「生きた神の言葉を信じるということは,幻を免れることである。信仰は現実への視線をさえぎるあらゆるものと常に闘い続ける。信仰が困難や罪を克服できるのは,開かれた視線と容赦なく己を認識することによって,闘う時のみである」

フロマートカ「真の悔い改めとは,生きた神の言葉と聖霊の炎によって,逃れられないほど影響された時にのみ想像できるものである。悔い改めとは,袋小路や深淵に足を踏み入れ,引き返さねばならない,と感じた意識から生まれる。そしてまさにこれは,私たちがその意志もそのエネルギーも持たない物である。私たちはどうにかして自分の尊厳を守ろうとするからである」

フロマートカ「私たちは何によっても自由になれず,唯一,神の慈悲が私たちの人生に介入した時のみ,自由になれる」

フロマートカ「イエスに対する最も強硬な抵抗者となりやすいのは,まさに地上の教会と,その牧師,説教者,教師,信仰告白者なのである」

フロマートカ「人間は,歴史的な生物である」

フロマートカ「新しい一歩を踏み出すためには,自分たちの歴史の遺産を一度ではなく根本的に吟味することが必要である。絶えず過去を見直し,過去の足枷から自由になることが必要である」

フロマートカ「科学と技術,現代の人類を解放するこの大きな力は,時に不自由さの道具となり,絶望の源となるのである」

フロマートカ「福音は,歴史の重荷と足枷からも自由にする。過去は,福音の光の中で,隷属させる力を失う」

フロマートカ「福音の真理における真の自由は,痛みと辛さを伴う。教会の壁,教区の囲いの後ろで門戸を閉じてしまった方が,はるかに楽で快適である。しかし真の自由はそのようなことは許さない。真の自由は,迷い,そして美しさ,痛み,そして喜び,無力さ,そして昨日において,今日の人間を明らかにする」

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