JGPは自由主義である

1 JGPは共産主義, だと??

前回の記事, https://note.com/headphone/n/n90bc3ca9abbc において, MMTとJGPは密接不可分であることと, 最低賃金ゼロ, 福利厚生ゼロという形ではあるもののJGPはすでに行われている現実であることを述べた.

ところが, JGPに対するあまりにも傲慢かつ無知な誹謗中傷として, 次のものが挙げられる. それは「JGPは共産主義である」というものである. まず確認したいのは, 共産主義の中身をわかってこの誹謗中傷を行っているのか?ということであり, 今まで見てきたそのような非難をする人に限って, 共産主義が一つであるというとんでもない誤解をしていることに気づいたのである.

だから, この記事で, 「JGPは共産主義である」という話を木っ端微塵に否定しておこうと思う. ただしこれを実行するには, 共産主義とは何かという根本的な話をしなければならない.

2 共産主義は一つではないですが, 何か!

さて, この節の議論は, 的場昭弘『ネオ共産主義論』(光文社新書, 2006年)を参考文献として, 展開されることになる. 一般には, 共産主義といえば, マルクス主義によってソ連という「国家」(マルクス主義あるいはレーニン主義に基づく認識では, 国家は否定されるべきものなのですが, それを一挙にやることは不可能なので, 一時的に「国家」という装置を是認するというものなのである)によって実施された体制を支える思想である, と理解されている.

ところが, これはまず, マルクスその人本人との思想とはかけ離れすぎているものであり, 次に, ソ連体制を仮に共産主義と呼ぶにしても, 共産主義はそれだけではないという事実が, 意外と知られていないのである. そこでこれらについて, 歴史的に振り返っておきたい.

「共産主義は, 『旧約聖書』に書かれた四つの考えを中心に発展してきた思想だと言えます. 具体的に言うと, 一つ目は, 地上に「エデンの園」を打ち立てるために, 豊かな生活を実現することです(これは, 蓄積された貨幣を全員で利用することを意味します). 二つ目は, 人間のもつ欲望を制限することです. なぜなら, 豊かさにはそれこそ限度がないからです. 三つ目は, 忍耐強く時が来ることを待つことです. 「エデンの園」に行くべき運命を背負わされた人々は, すぐにそれが実現されることをけっして期待せず, 苦しみに苛まれながらその時を待つのです. 四つ目は, 知性をもつことです. それによって自然の猛威から身を守り, 世界を計画的に組織することを学ぶわけです. この計画と設計こそ, 地上における貧困と不安をなくす道具なのです」(226-227ページ)

さて, この引用を正直に読むものは, 直ちに納得できることとして, ソ連の体制は共産主義といえる部分はあるが, その体制が共産主義の代名詞であるとまでは言えないことがわかるだろう. 確かにソ連は, なんらかの計画を立てるための知性を持っていたし, それを世界に輸出しようとしていたとされるのであるから(ソ連のインテリゲンティアはそんなことは不可能であると知りながら, 現実にはそう振る舞わざるを得なかっただけ, 人間理性の限界を踏まえていて良いと思われる. 日本人は理性に対して過剰なまでの期待をするから, 共産主義に対しておかしな理解をするのであると思われる.)四つ目の要件は満たしているといえるかもしれない.

しかし, 困ったことにそれ以外の要件はほとんど満たされていなかったのがソ連の体制である. 一つ目の要件は, いわゆる「前衛組織」(ソ連体制を指導する官僚及び政治家組織)に蓄積された貨幣が集中していたので, 満たされないのである. 二つ目の要件も, 「前衛組織」の連中の際限なき欲望があったことから, これも満たされないのである. 三つ目の要件は, 「エデンの園」を人間が作り出すことができるのであるという, とんでもない暴走を「前衛組織」の人々が持っていたことから, これも満たされないのである. なお, 四つ目の要件に対しても, 「前衛組織」に属さない人々に対する知性が欠けており, 彼らを守ることもほとんどできなかった(唯一, そのような人々にとって望ましいこととして実行されたのは, 労働時間の強制的な短縮であり, つまり, 超過労働を一切禁じたことである)から, 満たされない点もあったといえる.

さて, 共産主義に対する一面的な誤解をしている方に対しては, これを読むことによって, 少なくとも共産主義は奥が深いのである, ということを知って欲しいと考える.

3 JGPは自由主義である

JGPの対象者は誰でしたっけ?そう. 働く能力と意志のある人でしたね. この段階で, JGPが強制労働だとか, JGPは奴隷労働だとか言ってくる人は, まずおかしいことになるのであるとう. 次に, JGPの雇用は一生続くものでしたっけ?と言われればそれもNOであることがわかる. それは, JGPは, 「労働者に適切な賃金を福利厚生を提供している」民間の企業や公務員の方々の仕事を奪うものではないし, JGPで仕事をする人が, それをやめて先のような企業や, 公務員にて働きたいということを妨げないものである. これを聞いても, まだJGPが奴隷労働だとか強制労働だとか言ってくる人は, きっと仕事そのものが嫌いなんだろうね★

また, 最大の重要なポイントとして, JGPの職業は, 自分の意思によって, 多少変更が可能であるということである. 正確に言えば, JGPの職業は, 地域共同体の合議によって, その地域共同体ごとに, 可変的に決まるものなので, 時には自分の意見が通らないこともあるが, 時には自分の意見に近しいものが採用される可能性があるのである. これは, 仮にJGPで働かないという意思を持つ人に対しても, 挑戦する可能性を広げるものとして, むしろ社会にとって有意義な働きをするものなのである.

ちょっとだけ思想の話をすれば, MMTはハイエクの思想を共有するものである. 確かにハイエクの「貨幣供給自由化論」なるものは, 全くもって愚鈍なものなのですが, ハイエクは法のもとの自由を何よりも希求及び尊重した思想家なので, どうしてMMTと対立するなどといえるのか, 私にはさっぱりわからないのである. というか, ハイエクの弟子たちが, ハイエクを誤解しているような事態が, 今のオーストリア学派ないしリバタリアンのほとんどなのだから, どうしようもないなとも思ってしまうのである.

4 結論 JGPとは?

JGPとは「政府が資金提供を, 地域共同体が合議で仕事を用意することで, むしろ民間企業の福利厚生や賃金や, 活力をあげたり, 国家存亡に関わる仕事につかれる方の精神を安定させたり, お金のあまりからなまい文化的活動に従事する人の活気をあげたりする制度である」ということができるのである.
インフレだとか好景気だとか完全雇用だとかいう, 経済学の用語を使わない方が, むしろJGPに対する誤解というか, 言われもなき誹謗中傷は避けられるのではないか, と考えている.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?