中立化, ニュートラル...それは強者の論理である

こんにちは, 今回はですね. 中立化は悪であるという話をしてみます. というよりもこんな話をしないといけない段階および現実が私を殺すのですがね(笑)

1 中立化とは何か

端的に言えば「中立化=暗殺」である. どういうことか. 例えばインテリジェンスの世界の常識では, 独裁国家の指導者に対する対応策の一つとして, その人を中立化するというものは, 常に考えられている. 無論, それを実行するかどうかは, 別の情報が必要なのであるが, 大事なことは, 中立化するということは無力化すること, もっと言えば殺すことと同義なのである. また, 大々的に殺すのは, 目立ちすぎるので, 暗殺に徹するというのが中立化の基本であるということも述べておこう.

そう言えば, 貨幣についてこんなことを言っていた人がいました. 引用しますね.

「肉屋は彼の店に彼自身が消費しうる以上の肉をもち, 酒屋とパン屋はどちらもその一部を購買したいと思っている. ところが, 彼らはそれぞれの職業の異なる生産物以外には交換にさしだすべきものをもっておらず, 肉屋のほうはすでに, 彼がさしあたって必要とするパンとビールをすべてもちあわせている. このばあいには, 彼らのあいだで交換が行われることはありえない. 彼らが彼らの商人であることも, 彼らが彼らの顧客であることもできず, こうして誰もがそれだけ, 相互の役にたたないのである. このような情況の不便を回避するために, 分業が最初に確立されて以後, 社会のすべての時期のすべての慎慮ある人は, 自然に次のようなしかたで, 彼の問題を処理しようとつとめたにちがいない. それは, 人びとが自分たちの勤労物との交換を拒否することはほとんどないだろうと彼が想像する, 何かある商品の一定量を, 彼自身の勤労の特定の生産物のほかに, いつも手もとにおいておくということである」(Smith(1976), pp. 37-38, 邦訳, 第1分冊, 51-52ページ.)

このようなことを述べたのは...そうです, アダム・スミスという哲学者(この方を経済学者として限定するのは間違ってます)のかいた『国富論(Wealth of Nations)』の一節です. ちなみにスミスは『道徳感情論』という本を, むしろ自分の主著であると認識していると思われますので, スミスを理解したいのならばこの2冊は最低限必読であろう.

この引用では, 貨幣は商品と商品を交換する媒体に過ぎないということを読み取ることができる. しかしながらこれでは資本制経済を読み取るにはあまりにも, 貨幣認識が不足している. これが, 貨幣の中立化なのです. それが証拠に次のようなことを経済学の教科書に書いてある始末...引用しますね.

「貨幣の諸機能をよく理解するには、貨幣のない経済(物々交換経済)を想像してみればいい。 貨幣のない世界で取引が成立するには、(ちょうどよい場所でちょうどよいときに)2 人の人間が互 いに相手の欲しい物をもっているという希な偶然、すなわち欲求の二重の一致(double coincidence of wants)が必要である。物々交換経済では、単純な取引しか行えない。
貨幣を使うと、もっと間接的な取引が可能となる(以下略)。
第 2 次世界大戦中のナチの捕虜収容所では、独特の商品貨幣が使われていた。捕虜たちには 赤十字から食料、衣服、タバコなどさまざまな物資が供給されていた(中略)。最終的に「通貨」にな ったのはタバコであった(以下略)。
どんなに原始的な社会であっても、何らかの形の商品貨幣が出現して、交換が簡単になること は驚くにはあたらない。人々は金のような内在的価値を持った商品貨幣であれば、喜んで受け取 るからである。しかしながら、不換紙幣の出現を説明するのは少し難しい。どうして、人々は内在的 価値をまったくもたないものを価値あるものとして扱うようになったのだろうか。
商品貨幣から不換紙幣への進化を理解するには、人々が金を詰め込んだ鞄を持ち歩いている 経済を創造してみればよい。そのような経済では、商品の購入が決まったら、買い手は金の適量を
はからなければならない。そして売り手が金の重量と品質に納得してはじめて、売り手と買い手の 取引が成立するのである。
政府の貨幣システムへの介入の初期段階は、人々の取引コストを引き下げるものであっただろ う。金そのものを貨幣として使うと、純度と重量の確認に手間がかかるので、取引コストが高い。そう したコストを節約するために、政府は一定の純度と重量を持った金貨を鋳造する。金貨の価値が一 般に知れわたれば、金の延べ板よりも使いやすくなる。
次の段階では、政府は民間から金を受け取って、代わりに金証書(金兌換紙幣)を発行するように なる。兌換紙幣は、一定量の金との交換が政府によって補償されている(以下略)。
最後の段階では、金による価値補償がいらなくなる。兌換紙幣を金に換える人がいなくなれば、 金との交換補償が放棄されても誰も気にしなくなるだろう。交換の際に紙幣を皆が受け取り続ける 限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす。このような経緯を経て、商品貨幣のシステ ムから不換紙幣のシステムへと、ゆっくりと進化してきたのである」(マンキュー 2011、pp.110-112)。

この引用は, マンキュー、グレゴリー(2011)『マンキューマクロ経済学1 入門篇(第 3 版)』(足立英之、地主敏樹、中谷武、柳川隆訳)、東洋経済新報社. という本からなされたものであり, これは実は有名な教科書なのだ!これでどうして, 貨幣が主役の資本制経済を語れるというのか, いや語れないでしょう.

2 価値の中立化

価値とは何か?人にとっての価値とは何か?この問いについてはいろんな人がいろんなことを言っているのであるが, 大事なことは何か...それは, 中立的なことを言っているものは, 実はイデオロギーであるということだ. というよりも, 全ての人間はなんらかのイデオロギーを持っているが, それを意識できていない人が多いのである.

問題なのは, 自分の言動はイデオロギーではないというふうにしてしまう愚か者が, なぜか強者になるということである. これは違う. 強者のイデオロギーは価値中立的に表現されるのである. これはカール・マルクスの見出した天才的命題であり, おそらく人間世界の真理であろう. だから, 社会的弱者の意見は「それはお前のへんけんである」とか「それはお前のイデオロギーである」とか言われて, 抹殺される可能性が高いのである.

ほとんど全ての経済学者はもちろん, 日本版MMTなる代物を主張するものも, 実は強者のイデオロギーに見える. 日本版MMTとは, 簡単に言えば資本家優遇措置である. それは企業を中心に救おうとするものだからである. 資本制経済において, 賃金労働者は, 働いた瞬間に搾取されているのである. これは法律的にああだこうだとか, 倫理的にああだこうだという話以前の, 事実である. この事実を実はほとんど全ての経済学者や, 日本版MMT賛成者は理解しないのである. それはその事実がバレることを恐れている, つまり, 資本家の目線であるからなのだ.



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