読書ノート 『人間の学としての倫理学』

和辻哲郎『人間の学としての倫理学』(岩波全書, 1934)について簡単なメモを残しておく. (この著作が1934年に出版されていること, そしてこの記事の書かれたタイミングが2021年であること, この二つを考慮すると, 私はどうやら和辻によって, およそ80年の過去を, 現在において, 何かを学べるだろうという未来の観点から, 見つめることになるのだ. このように思うと, 著作物というものの持続可能性並びに, 恐ろしさというものを感じずにはいられない)

1 本の構成

目次の構成を書き写すこととする.

第一章 人間の学としての倫理学の意義

 一 「倫理」という言葉の意味

 二 「人間」という言葉の意味

 三 「世間」あるいは「世の中」の意義

 四 「存在」という言葉の意味

 五 人間の学としての倫理学の構想

 六 アリストテレスのPolitike

 七 カントのAnthropologie

 八 コーヘンにおける人間の概念の学

 九 ヘーゲルの人倫の学

 一〇 フォイエルバハの人間学

 一一 マルクスの人間存在

第二章 人間の学としての倫理学の方法

 一二 人間の問い

 一三 問われている人間

 一四 学としての目標

 一五 人間存在への通路

 一六 解釈学的方法

索引

目次の構成は以上となる.

2 和辻哲郎という人物について

和辻哲郎に関する情報は, 以下のURLから調べて欲しい. というのは, 私が今回紹介する著作が, 私の和辻に対する「初接触」(和辻哲郎という名前それ自体は, いつかどこかにおいて私は聞いていたのであるが, なんのきっかけか, およそ一ヶ月くらい前に和辻の著作を読もうと思い, 大学の生協の書店において, 目にとまったのが『人間の学としての倫理学』)を与えた作品であり, 和辻に関して何かコメントをできるほどに, 和辻のことを知らないという事情が存在しているからである.

https://kotobank.jp/word/%E5%92%8C%E8%BE%BB%E5%93%B2%E9%83%8E-154203

上のURLにおいて, 私が気になったところを以下に抜粋しておく.

「和辻哲郎【わつじてつろう】
哲学者。兵庫県出身。東大哲学科卒業後,1925年京大助教授。1927年―1928年ドイツ留学,1931年京大教授を経て,1934年―1949年東大教授。1955年文化勲章受章。大正末年,非合理主義に向かう哲学の世界的傾向をいち早く洞察して,ニーチェ,キルケゴールの実存主義をとり上げ,日本に〈生の哲学〉受容の基礎を作った。同時に奈良飛鳥の仏教美術に新しい光をあてることによって伝統思想の新側面を見いだし,さらにハイデッガーの《存在と時間》に触発されて《風土》(1935年)を著すなど,多彩な思想的活動を展開した。また倫理学を人と人との間の学と捉える《人間の学としての倫理学》(1935年)を発表,いわゆる和辻倫理学を樹立するとともに,日本倫理学会を設立した。著書《古寺巡礼》《日本精神史研究》《原始基督教の文化史的意義》《原始仏教の実践哲学》《鎖国》《倫理学》《埋もれた日本》など多数。」

この引用から私が印象を受けたことは, 和辻が日本倫理学会という学会を設立し, さらにこの引用元となっているURLにおいて調べればわかるように, その学会の初代会長を, 和辻が務めていたということだ. この学会が成立したことをもって, 日本における倫理学が初めて学問として成立した, と考えることは誤りであろうが, 倫理学を日本において学問として確立しようとする一つの契機が, 日本倫理学会の設立であったことは間違い無いだろう.

3 「倫理学」は「人間存在学」である

和辻は, 倫理, 人間, 世間, 存在, という四つの言葉について, 主に日本語(そして中国語)と西洋語(そしてサンスクリット語)とを対比させ, その四つの言葉の意味するところのものが, 倫理学を考える際の根本概念となると述べている. そして, 倫理学は人間存在の学でなければならないということを, 次のように述べている.

「我々は, 倫理, 人間, 世間, 存在という四つの根本概念を規定した. 倫理とは人間共同態の存在根柢であるという最初の規定は, ここに至ってようやく明らかにせられたと信ずる. 倫理学はかくのごとき倫理の学であり, 従って人間存在の学でなくてはならぬ」(41ページ)

Sein(「存在」と訳されることが多い)とSollen(「当為」と訳されることが多い)に関しては, 「人間存在は人間の行為的連関であるがゆえに自然必然性において可能な客体のSeinではない」(41ページ)として, 次のように述べている.

「我々はSeinとSollenとがいずれも人間存在から導き出されるものとして取り扱われ得ると考える. 人間存在は両者の実践的な根源である. だから人間存在の根本的な解明は, 一面において客体的なSeinがいかにして成立し来たるかの問題に答える地盤を, 他面においてSollenの意識がいかにして成立するかに答える地盤を, 提供すると言ってよい. 前者は人間存在から物を有つ [もつ] ことへ, 物を有つことから物があることへ, 「有の系譜」をたどることによって答えられる. 後者は人間存在の構造がいかに自覚せられるかをたどることによって答えられる. 人間存在の学はこの二つの方向に対していずれも充分な地盤を与え得なければならぬ」(42ページ, [ ]内は引用者による)

和辻にとって, 倫理学は人間存在学と言えるけれども, その具体的な中身については, 「人間存在において主体的実践的に実現せられたものを, 一定の仕方で学問的意識にもたらせばよいのである」(43ページ)と述べ, 「人間の学としての倫理学」と, その中身を表現した. では, 「人間の学としての倫理学」に課せられた, 考えるべき課題とはなんであろうか. 和辻は大きく四つの課題を取り上げている.

第一の課題は「倫理学が人間の学である限り, 「世間」たるとともに「人」であるという人間の根本構造」(44ページ)でなければならない. そして, 人間存在は「世間」でありながら「人」であるという二重性格のうちに, あらゆる実践の根本原理が見出されるとする.

第二の課題について「実践において実現せられる人間共同態とはいかなる物であろうか. そこに第二の問いとして人間の世間性が取り上げられねばならぬ」(44ページ)と述べる. そしてこの課題において「世間や存在の概念が示している空間性・時間性の問題」(44ページ)が根源的に扱われるとする.

第三の課題は「人間の連帯性の構造」(44ページ)であり, 具体的には「人間の世間性の解明は, 人間の孤立的存在が何であるかを明らかにする. が, それとともに人間の共同態がいかにこの孤立的存在に媒介せられているかもまた明らかになる」(44ページ)ことによって, この課題は扱われることとなり, 「責任, 義務, 徳などの問題が根本的に解かれる」(44ページ)場所が, この第三の課題であるとする.

第四の課題は「人間の特殊性の問題」(45ページ)であり, 具体的には「共同態の形成は風土的・歴史的に特殊の仕方をもっている. 言いかえれば実践の原理の実現せられる段階は風土的・歴史的に限定せられる」(45ページ)という認識から「国民道徳の原理問題」(45ページ)の解かれる場所が, この第四の課題であるとする.

和辻は, この四つの課題に関する構想が単に恣意的であるとは考えていないけれども, この考えが決して和辻の独りよがりでは無いことを, 次のよう述べて示そうとしている.

「我々はさらに倫理学の歴史を通じて, この構想がすでに古くより哲学者の間に動いていたということを証示し得ると思う. そこで我々は, 代表的な数人の哲学者を捕えて, 彼らの言説の核心に, 人間の学としての倫理学の構想を見いだそうと試みる. それによってこの構想は歴史的な支持を受けることができるのである」(45ページ)

代表的な数人として和辻は, アリストテレス, カント, コーヘン, ヘーゲル, フォイエルバッハ, マルクスなどを挙げ, それぞれの哲学者の言説を検討し, 和辻の述べているところの「人間の学としての倫理学」構想を見出していくことになる.




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