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オジサンへ。

今朝、オジサンが亡くなった。

故人にもプライバシーがあると思うので、叔父さんなのか伯父さんなのか明かさずオジサンと呼ぶし、以下多少内容も脚色する。

オジサンが体調を崩したのは去年の秋。自宅で倒れて病院に運ばれ、そのときにはもう、命のタイムリミットが見えていた。最初に入院していた病院から、うちの近所の病院の緩和ケア病棟に最近転院してきたところだった。わたし自身、去年頑張りすぎてぶっ壊れてから数ヶ月。やっと元気になってきたから、そろそろお見舞いに行こう。そう思っていたら、亡くなってしまった。

ここまで読んでわかる通り、わたしは一度もお見舞いに行かなかった。定期的に行っていた家族でさえ、「もう少し来たらいいのに」的なことを看護師さんに言われてショックを受けていたので、それを基準に考えたら、わたしは悪魔のように冷たい身内ということになる。オジサンは独身で、わたしが唯一の子孫ということを考えたら尚更だ。

それはそうかもしれない。でもわたしはわたしで、この数ヶ月、オジサンを知ろうと思った。オジサンが好きだったクッキーを数ヶ月食べ続けた。好きだったあんみつも同じものを食べた。好きだった桃の缶詰も同じものを食べた。たったそれだけと言えばそうだけど、クッキーもあんみつも桃の缶詰も、わたしはずっと食べ続けるし、わたしの中ではオジサンが好きだったものとして残り続ける。

ここ数日、オジサンは午後の紅茶と洋梨を食べたがっていた。でもそれを食べることは叶わなかった。きっとこれからわたしはスーパーに行き、午後の紅茶と洋梨を買い、食べる。オジサンが食べられなかった分を食べるとか、そういう綺麗事ではない。ただ、オジサンが好きだったものを受け継ぐだけ。それが、いまのわたしの精一杯の弔いだから。

追伸。さっきコンビニに行って、オジサンの好きだったタバコを買いました。タバコを買うのは生まれて初めてで、なんか恥ずかしくて、慣れてる感じを装って「187番ください」と言いました。タバコを手にしたとき、悪いことしてるみたいで気分が上がりました。わたしちょっぴり、不良になったみたいです。

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