ナゾタオル
私は毎日洗濯をしている。
洗濯と言っても寒空の下で濡れた洗濯ものを
ピンチにかけたりはしていない。
洗濯乾燥機で夜に洗濯と乾燥をさせて
乾燥機にかけられないものを
早朝に洗濯機を回して、部屋干しして
後は洗濯が終わった衣類をたたんで所定の場所に
しまうだけである。
「なんだ、そんなのラクチンじゃないか」
そんな風に思われる方もいるかもしれない。
かつて我が家もずっと縦型の洗濯機を使い
毎日衣類を干す作業をしていたので
そう言いたくなる気持ちはわかる。
だが、この作業も慣れてしまえば
それはそれで面倒なものなのである。
まして、ここにアイロンをしなければならない
息子の給食セットが入ってくるので
私からすれば洗濯は結構面倒な家事の一つでもある。
私が出張で不在にしている時は
妻が代わりにしてくれているのだが、
逆にそうでない限りは私がずっとこの作業を
し続けている。
つまりこれは
妻は一部わかってくれてはいるものの
基本的に家族達はこの作業の面倒さを
理解していないということである。
大抵の場合、私は家事を朝活時間終わりに
済ませてしまうので、
家族の目に触れないからというの一つの理由だろう。
そんな私にとって毎日とても不満を感じることが
一つある。
それはタオルの使い方である。
以前に記事に書いたが私はバスタオルを使わない。
以前帯状疱疹になったときに家族への配慮で
バスタオルを使うのをやめてみると
思ったよりも快適で洗濯もののカサが減らせて
快適だったからである。
だが、私以外の家族はどうにも
ハンドタオルの使い方が雑なのである。
洗面台には手拭き用のタオルがタオルハンガーに
常に1枚かけられているのだが、
どういうわけか夕方になると洗面台には
使い終わったタオルが1~2枚置かれているのである。
しかもほとんど使ったような形跡もなく
わずかに濡れている程度。
こんなものなら洗わなくてもいい気もするが
何につかったのかわからないタオルを
再びたたんで新しいタオルに入れるのは嫌である。
結局そのまま洗濯ものを入れるカゴに
それらを投入することになってしまうのだ。
過去に息子が寝ぐせを寝かせるのに
新しいタオルを使っていたのを見たことがあり
その時には新しいタオルを使わず
風呂に使っているバスタオルを使うように
指示したためか、しばらくナゾなハンドタオルの
使用は減っていたのだが、
最近また増えるようになってきた。
昨日は出張先から直帰したので、早く自宅に帰ると
驚いたことにハンドタオルが3枚も洗面台に
置かれていた。
それを見た瞬間私は瞬間湯沸かし器のように
苛立ってしまった。
それはなぜか。
私が毎日している洗濯の負荷が
全く考慮されていない気がしたからである。
タオルぐらいけちけちせずに使いたい気持ちは
私もよくわかる。
何かあれば洗いたての綺麗なタオルで拭きたい。
だが、その時にも洗濯する時の手間が頭にあれば
「パパの手間が増えるから新しいタオルを使うのはやめておこう」
と思い多少なりとも抑制する要素になるはずである。
これは私が勝手に持っている期待であり、
それ故に自由気ままにタオルが使われることに
憤っているということは百も承知である。
だが、何だかオートマチックにタオルが洗われて
タオルラックに並んでいるように思われるのは
何だかとても癪なのだ。
妻なら何か知っているかもしれないが
このようなことを聞くときには聞き方を気を付けないと
何だか妻を責めているように聞こえかねない。
そうなると過去にあった全く関係のない事象を
話の引き合いに出されてしまい、
ムダな喧嘩に発展してしまう可能性もある。
それだけは避けたいので、昨日私は帰ってきた妻に
さりげなく聞いてみた。
幸い私の聞き方が良かったためか、妻の反応は悪くなかったが
残念ながらタオルが誰にどのようにして使われたものか
妻は全くしらないということであった。
身長的にもタオルラックに届くのは息子だけだが
さすがに1人で短時間の間に3枚も使うとは思えない。
我が家には当然ながら監視カメラなどはないので
検証することはできないが、
これは被害者として、そして探偵として
突きつけられた挑戦状である。
私は心の中で福山雅治のように
「実に面白い」とつぶやいた。
この謎が解明されればまた記事にしようと思うので
また読んで頂けると嬉しい。