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なかなか得がたい読書体験。

先週の木曜日に発売なされました、
村上春樹さんの長編小説
『街とその不確かな壁』を読み終えました。

この読書体験はね、なんと申しますか、
これまでのじぶんの読書の中でも、
至極、特別のようなものだった気がしている。
でも、だからと言って、この小説は、
素晴らしいから、読んで〜! って、誰しもに
おすすめしたいわけでもない、とも思っている。

読書中、ぼくが感じていたこの
「特別さ」のことを説明するには、
ぼくがこれまで、村上さんの作品を
どのようにして読んできたか、のことを、
記さないといけないのかもしれない。

現在41歳のぼくは、幼少のころから
本を、全く読むことなく過ごしてきた。
20代半ばごろ、簡単に言ってしまうとすれば
精神的に疲弊していたぼくは、
当時、通っていた専門学校の先生より
「小説を読みなさい。」というアドバイスを頂いて、
でも、本及び小説なんて
全く読んだことがないぼくは、
「どんな小説を読んだらよいですか?」
と訊ねると、先生は
「それはわからない。でも、私は、
 村上春樹さんの小説を読んで救われたことは、ある。」
とおっしゃったので、ならば、ぼくも読んでみようと思い、
それまで全く訪れたことがなかった図書館の
小説コーナーの棚を眺めながら、そこで見つけた
『国境の南、太陽の西』を手に取り、借りてみた。
それで、読んでみるとね、先生のおっしゃったような
「救われる」かどうかはわからなかったけれども、
なんだか、小説がおもしろかったので、
そういうふうに先生へ伝えると
「それは、よかった。」とおっしゃって、
その後はね、村上さんの作品だけでなくて、
いろいろな小説、そして、本を読むようになった。

村上さんのその他の作品では、
どれも思い入れがございますが、
『国境の南、太陽の西』の次に読みました
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』はね、
その専門学校の海外研修でパリとロンドンを訪れた際に、
本を持ってゆき、この旅のあいだずっと読んでいたので
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を想うと、
そのとき、宿で読んでいた光景を思い出すのですが。

このたび発売なされました『街とその不確かな壁』は、
1980年、文芸雑誌で掲載された
『街と、その不確かな壁』という中編小説が
元とされていて、でも、この中編は
村上さんご本人が納得いっておらず、
その後の全集でも作品として掲載されていない。
そして、ぼくも、読んだことはない。この
『街と、その不確かな壁』という作品は1985年に刊行されました
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の
世界観として反映されている、というのは、以後、
村上さんのインタビュー等で知ることになるのですが、
いったいどんな内容なんだろう?! というのは、
ちょこちょこ気になっていた。

そして先日、村上さんの新作長編の
題名が発表されたときにね、それが、
『街とその不確かな壁』だと知り、
これは、なんだか、すごいことなのではないか?
と思ったんだった。つまりはさ、
何十年も前に書かれた文章を、
何十年後の将来になってから
あらためてリライトするようにして、
考えてみる、つまり、
若いときに考えてみたけれど、
わからなかったこと、及び、書けなかったことが、
何十年も経った後になってから、
わかるようになる、もしくは、
書けるようになる、って、これはもう、
生きることにおける一つの希望のようにも感じるの。

そんなふうに感じながら、
『街とその不確かな壁』という小説をね、
一文ずつ、一文ずつ、
ゆっくり歩んでゆくように、なおかつ、
長い時間性を感じるようにして、読む、って、
なかなか得がたい体験のように想ったんだった。

この「街」とは、これまでずっと
「その不確かな壁」の中で、
存在し続けていたんだ!
と想像しながら、読書をしておりました。

令和5年4月19日


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