悪人正機2018

ひさしぶりに『悪人正機』を読んで(その3)

前回noteのつづきですー。

前回では、吉本隆明さん糸井重里さん共著『悪人正機』をひさしぶりに読んで、なるほどって思ったこと、ふたつめを申しまして。

こんかいはそのみっつめです。

それは、257ページからの「『言葉』ってなんだ?」の章でのことなんですが。そのなかでね、吉本さんが「英語」についてのことをおっしゃっていて。たとえば、、

 それからこれも実感なんですけど、僕は自分の考え方として方言と民族語の違いは、地続きになっていると思ってるわけですよ。ずっと方言を延長していくとね、違う民族語になるって。で、そこに断絶はないと思ってるわけですよ。
 秋田弁とか、青森弁っていうのはあるでしょう。それと要するに韓国語とか、中国語とか、あるいは英語とかね、それとは地続きなんだと思ってるわけです。
(吉本隆明さん糸井重里さん共著『悪人正機』新潮文庫、266-267頁より引用です。)

や、

まあ、英語を憶(おぼ)えたいんだとしたら、違うコトバだと思わないで、方言のひとつとして考える方法というのは、案外早く憶えられるようになるかもしれないですね。
(同著、269頁より引用です。)

というような、「外国語は方言の延長線にある。」とは、なんだか、なるほど、そうなのかもしれない。とおもったの。

えーと。すこしまえのnoteでもね、英語についてのことを書いてみたり、また、ちょっと考えたりしていたからさ。このことが、それとつながっていると感じて、つよく印象に残ったです。

まあ、でもぼくはじつのところそんなには、英語を憶えたい、というきもちじゃあない、てゆうか。このあたり、じぶんのきもち的にどういうふうに落とし前をつける、って言い方は変かもだけれども。英語のこと、どう考えてゆけばよいか?! は、まだ、考えちゅう。。。

そして、もうひとつ、おんなじ章での、、

 七面倒な知識、教養のつまんねえ部分をあんまり憶えてると、「小説ヘタになるぞ」って、子供にも言ってますけどね。
(同著、261頁より引用です。)

の箇所での「子供」と吉本さんおっしゃるのは、吉本隆明さんの娘さんの「吉本ばななさん」のこととぞんじますが。ここのところもさ、なんか、だいじそうだなあ、っておもいましたー。

この章も、じぶんのなかで、もういちど考えてみたいなあ。。。

平成30年11月13日


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