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イミテーションの木に成る果実。

昨日のブログでね、Mr.Childrenの映画
『GIFT for you』を観たことをしるしてから、
なんだか、どことなく、Mr.Childrenの
2012年リリースのアルバム
『[(an imitation) blood orange]』に収録されている
『イミテーションの木』を聴きたくなったので、
車の中で、そして、夜の部屋の中で、
聴いておりました。

『イミテーションの木』、
やっぱり、だいすきだなあ。

そして、今聴くと
またちがった感覚を想ったりして。
それは、たとえば、、

リニューアルしたビルの中
イミテーションの木が茂る
その永遠の緑をボーっと見ていた
【イミテーションの木/Mr.Children】

イミテーションの木の葉っぱのことを
「永遠の緑」と呼んでいるのは、
昨年リリースのベストアルバム
『Mr.Children 2015 - 2021 & NOW』で、
新曲として収録されている
『永遠』のことを想起するし。
また、アルバムのリリース当時には、
大震災のことを歌われていると思われる
【世界中に起こってる悲劇と比べたら】
の箇所は、やっぱり、現在の
戦争のことだっても考えてしまう。

そして、、

イミテーションの木の下を
少年が飛び跳ねている
それを見た誰かの顔がほころぶ
【イミテーションの木/Mr.Children】

‥‥のところではさ、その
「少年」の姿をイメージしたら、
なんだか、心にこみ上げてきて、
泣きそうになってしまったなあ。

情熱も夢も持たない張りぼての命だとしても
こんなふうに誰かをそっと癒せるなら
【イミテーションの木/Mr.Children】

『イミテーションの木』とは、
たとえば、なんだろうか、たとえば、
大震災のような悲劇が起きてしまったとき、
音楽も、イミテーションの木のごとく
「張りぼての命」だったとしても、でも、
こんなふうに誰かを癒せることができたら、
という願いでもあり、でも、その逆に、
あきらめのような気持ちも感じられる。

そう考えれば、かつて、
桜井さんのおっしゃっていた
「『あきらめる』とは、明らかに見極めること。」
ということばも思い出すけれども。

ビルの中で立っている張りぼての木と、その
木の下で飛び跳ねている少年を眺めながら、
なにかを考える、というのは、Mr.Childrenの
『横断歩道を渡る人たち』という歌の中で、
運転中の信号待ちの車の中から
横断歩道を渡る人たちを眺めながら、
なにかを考える、というのと
リンクしているようにも感じられて、
すてきだなあー。

無機質なそのビルの中
イミテーションの木は茂る
なにかの役割を持ってそこにある
【イミテーションの木/Mr.Children】

どんなことでも、つまり、たとえ
イミテーションなものだとしても、
なにかの役割を持ちながら、
そこで、あるのやもしれない。

あっ、もしかしたら、この
『イミテーションの木』に成っている果実がさ、
アルバムのタイトルになっている
『[(an imitation) blood orange]』
なのやもしれないなあ〜。

はたまた、アルバムの曲順の流れも
すばらしくって。たとえば、この
ひとつまえの『pieces』の最後では
【いつか描いたやつより 本物にしよう】
と歌われながら、次の
『イミテーションの木』の最後には
【本物じゃなくても君を癒せるなら】
と歌われるその対比がすごいし。
そしてまた、この
『イミテーションの木』の次の曲が、
『かぞえうた』だったんだなあ。
って、あらためて想ったら、
また、なんだか、泣きそうになった。。。

ともしびににた きえない きぼうのうた

令和5年1月9日


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