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じぶん自身が「笛」になったように思うこと。

昨日のブログでは、伊藤亜紗さんの著書
『体はゆく』を読みながら、その
書籍との関連性は低いやもしれないですが、ふと、
「口笛」を吹くことができることについて想い、
そのことをしるしまして。そういうような、
口笛を吹くことができるようになるためには、
のこととしてぼくが考えたうちのひとつのね、
「じぶん自身が『笛』になったように思うこと」
ってゆうのがさ、なんか、
ぼくのなかでは気に入っているの。

たとえば、
口笛を吹くとき、及び、
歌を歌うときには、その
音の強弱や高低や長短などなどを、
じぶんの身体を動かすことによって、
鳴らしている。つまり、
じぶん自身の身体が「楽器」になっている。

かたや、
ギターとか、ピアノとか、その他の楽器では、
その楽器を操作するようにして、
音が鳴らされる。

でも、なんだか、
楽器を演奏なされる方々を見ていると、
どうも、そういうような、つまり、楽器を
「操作」するような感じでは無いようにも思われる。

ぼくは、アコースティックギターを
すこしばかり弾くんだけれども、でも、それは
コードをじゃかじゃか鳴らすだけで、
それ以上のことはまったくできない。
そしてまたピアノにおいては、恥ずかしながら
鍵盤のどの場所が「ド」の音なのか、
ってえのもよく知らなかったりする。
これはさ、でも、たとえば、
じぶんの構えているその楽器を
じぶんの身体で操作するようにして行おうとするから、
ぎこちない、というか、
むつかしい、というか、
わからない、というか、
できない、のかもしらない。

つまりは、おそらく
「楽器を弾く」ということはさ、
目の前の「楽器」とじぶん自身の「身体」が
一体となるかのようにして、つまり、
口笛を吹くようにして、そして、
歌を歌うようにして、
演奏なされているのやもしらない、
とも思うのよね。いや、ぼくはさ、
そのほんとうのところは
どうなのかはぞんじないんですが。。。

たとえば、ぼくに、
ギターとピアノとその他の楽器が弾けたなら、
涙がわーっとあふれるような、
ビューチフルな音楽をやる〜!

令和5年2月26日


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