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「できなかった」ことが「できる」ようになること。

伊藤亜紗さんの著書『体はゆく』、
読みました。おもしろかったなあ〜。

この書籍では、今まで
「できなかった」ことが
「できる」ようになる、とは、
どういうことか? について、
現代のテクノロジーを用いられながら、
最新の「できる」のことが考察されている、
という内容なのだとぞんじますが。
ところどころむつかしい箇所もあって、ぼくとしては
そのすべてを理解できたという感じでもないので、
書籍の感想や解説等は書けないですが、
でも、なんだか、
「できる」とはなにか? について、
ふんわりと想いを馳せているのよね。

書籍を読みながら、
「できる」ということに関して、書籍の内容とは
直接的には関係ないやもしれないですが、
ぼくが、ふと、考えていたのはね、
「口笛を吹く」のことなのでして。

たとえば、ぼくが
自宅で口笛を吹いていると、
ぼくのとなりに居る母がね、
おんなじように口笛を吹こうとするけれども、
母は口笛を吹けないので、その音も鳴らない。
このときぼくはいつも母へと、
「こういうふうにしたら、
吹けるようになるんじゃあない?」って、
伝えようと試みるも、うまく説明もできなくって、
いまだ母は、口笛を吹くことができない。

そう言えば、ぼくだってもね、
当初、口笛を吹くことができなかった。
口笛を吹けるようになったのは、
いつごろだったかは憶えてないけれども、
たぶん、中学生ごろだったかねえー、
口笛を吹けるようになるために、
いろいろ考えてみたり、
試行錯誤をしたりしながらのあるとき、
音が出るようになってきて、そして、
口笛を吹くことができるようになった。

あのときの経験を基にしながら、
口笛を吹くことのできない母へと伝えるのは、
たとえば、母の場合は
息をつよく吹いてしまうから、
もっとやさしく吹くこと、つまり、
息の力によって音が出るわけではないこと、そして、
やさしく吹きかけながら、口の先のあたりを
かすかにふるわせるようにすること、及び、
舌べろをVの字に折って
その舌のVの形と口の先端との距離によって、
音の高低がつけられること、つまりはね、
じぶん自身が「笛」になったように思うこと、
みたいなことを伝えるんだけれども、
いやはや、うまくゆかないんだな。

結局はさ、本人が、いろいろ、
その口の中の形を変えたりしながら、
音が鳴るのかどうか試しつつ、
できなければ、また、別の形に変えて試す、
みたいなことが重要なんだろう、
とも思われるけれど、母の場合、
そこまではしなくてもよい、
と思っているんだから、つまり、とくべつに
口笛を吹けるように成りたいとは思っていないので、
口笛を吹くことはできないし、でも、
この「できない」というのもね、
そんなわるいことでもないなあ、とも思うの。

でも、たとえば、
こうして口頭で説明するんではなくって、
伊藤さんのおっしゃるような、
なにかしらの最新のテクノロジーによって、もしくは、
もっとなにかべつの方法によって、
こうすれば吹くことができるのか! と思える、
みたいなこともあるやもしらないな。

そしてまた、このぼく自身だってもね、
あらゆる「できなかった」ことが
「できる」ようになるためには、
どうすればよいか? ということについて、
こうすれば「できる」ようになる、のような、
具体的なことは書籍では記されていないともしても、
抽象的な示唆に溢れている、というような感じをね、
『体はゆく』を読みながら思いました。

令和5年2月25日


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