見出し画像

その感覚を形容できるか?!

岡本太郎さんは「今日の芸術」に関して、
「うまくあってはならない。
 きれいであってはならない。
 ここちよくあってはならない。」
と言われていた。それはさ、
岡本太郎式特撮活劇『TAROMAN』の主題歌の中でも
【うまくあるな きれいであるな ここちよくあるな】
と歌われていたですが〜。

このことばのことを念頭に入れながら、
先日、愛知県美術館にて
『展覧会 岡本太郎』を鑑賞した後、その
展覧会の感想をブログで記そうとするときには、
果たしてどのように記そうか、ってえのはさ、
なかなかむつかしいなあ、とも思ったんだった。

つまりはさ、物事の感想を書くときには
「形容詞」の語句が使われることが多い、
とは存じますが。でも、
「うまい」という形容詞も、
「きれい」という形容詞も、
「ここちよい」という形容詞も、
ここでは使えないわけだし。ひいては、
それと同様の形容詞においても、たとえば、
「うつくしい」とか、
「かっこいい」とか、
「きもちよい」とか、もしくはさ、
「かわいい」でさえも、
そこでは、使い難いんだろう。

そう考えながら、ぼくが展覧会の感想として
ブログで記した形容詞とは、
「すごい」だった。それはもう、単純に、
「すごい」としか思えなかったし、
「すごい」と感じたので、
「すごい」と、つまり、
「すごかった!」とブログで書いたんだった。

とは言えども、ぼくは、そういえば
「すごい」という形容詞って、そこまで、
それほど好きなことばでもなくって。
それはなんだか、ある意味では
大げさのような感じでもあるし、はたまた、
「すごい」と似た語句として
「すさまじい」というのもあるけれど、それは、
ポジティブな意味だけでなくて、
ネガティブな意味でもありうるから。
つまり、「すごい」とは、ただ単に
「ワンダフル!」とか、「グレイト!」とか、
というだけでもない、とゆうか。
でも、今回、やはり、
岡本太郎さんの展覧会を観ながら
「すごい!」と形容するしか想えなかったんだ。

また、先日のブログの中ではね、
岡本太郎さんの『女神像』という作品について、
その横から観た身体の曲線が、
あまりにもあでやかで、
なまめかしくって、その曲線に
見惚れてしまった、と書いたけれども。
この「あでやか」や「なまめかしい」とは、
「きれい」ということばとは
ちょっとちがうような気がしていて。
つまりはさ、
「あでやか」や「なまめかしい」とは、
「きれい」よりも、もっと
肉体的、と申しますか、つまり、
身体的に疼く感じ、と申しますか、
たとえて言うとすれば、
舌で舐めて味わいたい、と申しあげますか。
いや、あの、なんて言うんだろうか、
ぜんぜんうまくは言えないんだけれども、
でも、そんなような感じを受けたので、
作品の感想として、このように
形容しようと思ったんだった。

そしてまた、今、あらためて
太郎さんの作品のことを考えるならば、
やっぱり、でも、そこには、
「うまい」とか、
「きれい」とか、
「ここちよい」とか、
ってゆうような形容は、思えないんだなあ。
でも、ならば、それをさ、
どの形容詞及び形容動詞で言えば、
その感覚を形容できるか? ってえのもね、
ぼくにゃあわからないんだけれども。
ともすれば、つまり、それこそが
「なんだ、これは!」であり、
「芸術は、爆発だ!」なのやもしらないか。

そもそも、
「ことば」って、なんだろう?!
みたいなことも考えつつ。。。

令和5年2月18日


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?