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「映像」とはなにか?(『最後のニュース』を聴きながら。)

このごろでは、また、あらためて、
「映像」とはなにか? ということについて、
ぼんやりながら考えているの。

それは、やはり、
戦争に関する映像、
災害に関する映像、
事件に関する映像、さらには、
某店舗におけるいわゆる
「迷惑動画」に関する映像などなどを
日々、テレビのニュース等で観ているから、
なのだとはぞんじますが。
それらの映像を観ながら、ぼくは、
映像って、つよい。と申しますか、つまり、
映像とは強烈だ、とも感じられる。

とくにはさ、現代では
だれしもがスマホを持っているんだから、
テレビ局のプロのカメラマンでなくとも、
スマホのカメラによって、
だれでも、いつでも、どんなところでも、
鮮明な映像を撮影することができる。
だからこそ、
映像と、ぼく自身が、とても
近いように感じられるやもしらない。

そしてまた、現代においては
「防犯カメラ」がお店や街の中で存在していて、はたまた、
クルマの「ドライブレコーダー」もそうと言えるかな、
そういうカメラによって、そのことが
よいことかどうかは置いておくとしても、
たとえば、それらの映像が犯罪に際しての
一番の証拠に成りうる。

つまり、その
映像があるかないかによって、
見えてしまうものがあり、
わかってしまうことがあり、
決まってしまうことがある。

このうえでも申しあげましたが、
某店舗におけるいわゆる「迷惑動画」に関しまして、
迷惑行為をされたご自身らによって撮影された動画が
SNS等で発信されるから、
その行為があったことが、わかる。
ともすれば、ならば、
スマホのようなカメラが存在していなかった
これまでの各時代においても、実際には
それらの行為は起こされていて、でも、
映像として発信されてなかったからこそ、
見知らなかっただけなのだろうか。

それとも、たとえば、
SNSでバズるために、
どうしたらよいか?! を考えたために、
そのような行為を思いついてしまったのか。

もしも、そのような
「SNSでバズるために」を考えたために、
思いついてしまった行動だったとすれば、
人は「カメラ」を持つことによって、
考えること、もしくは、思いつくことが
変わってきてしまう、とも言えるのかなあ?

でも、それは「カメラ」だけでなくって、
スマホで音声を録音する機能の「マイク」とか、
スマホ及びコンピュータで文字を入力する「キーボード」とか、
というようなデジタル機器のみでなく、
「ペン」で文字を記す行為だったり、
「口」でことばを言う行為だっても、
それらのことによって、その人自身の考えを
変えてしまうものやもしらない。
それは、でも、やっぱり、
よくもわるくもなんだろうか。

ニュースやSNSにて、
悲痛な映像を眺めながら、
ぼくは、祈る。
眺めながら、そして、祈りながら、
つらくも感じられながら、それが
あまりにつらくなってきたならば、
その映像を観るのを止める。でも、
その映像をストップさせたとしても、
その映像の先で起きている出来事は、
起きつづけている。
そのことを想いながら、
ぼくは、また、祈る。

闇に沈む月の裏の顔をあばき、
青い砂や石を、どこへ、運び去ったの?

今、あなたに、グッドナイト。。。

令和5年2月9日


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