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TAROの精神と常識から外れたアイディア。

このごろのブログで申しております、
昨年末、岡本太郎さんの壁画作品
『明日の神話』の大改修プロジェクトでの
クラウドファンディングのリターンで届きました書籍
『明日の神話 1967-2023 岡本太郎はなにをのこしたのか』をね、
昨日、読み終えました。

この書籍では、作品の計画、制作、完成、及び
作品が行方不明へ至った過程、はたまた、
発見、輸送、修復、初公開、恒久設置、
その後の維持や今回の大改修まで、これまでの
『明日の神話』についていろいろ読むことができまして。
読み終えて思ったのはね、やはり、今、ぼくらが
『明日の神話』を鑑賞できるということは、
奇跡だとしか言いようがない。

ぼくがとくにすごいと感じました書籍の箇所は、
行方不明だった『明日の神話』が
メキシコの資材置き場で発見されてから、
いたるところで欠損、剥落、変形していた作品を
修復するため日本へと移送する場面です。
『明日の神話』とは、高さ5.5m×幅30mもある
べらぼうに巨大な壁画作品なのだから、
日本へ運ぶのも大変で、たくさんのアイディア及び
緻密なシミュレーションによって解体・梱包が行われ、
平成17年(2005年)5月、神戸港へと無事上陸した、
とのことでして。つまりはさ、
そんなにも巨大なものを輸送するなんて、
まったく前例の無いことだからこそ、
常識から外れた考えが無ければ実現もしなかった。
これって、なんだか、前回noteで申しました
【Be TARO!】のことばそのものだなあ、と感じました。

つまり、『明日の神話』というべらぼうな作品を
輸送及び修復を経て公開するためには、
常識から外れたアイディア、つまりは
「でたらめ」かつ「べらぼう」のようにならなければ、
実現し得ない。

そんなような、いわば
「TARO」の精神によって実現なされたからこそ、
ぼくも『明日の神話』という作品を
鑑賞することができるようになった。

当時、『明日の神話』の「再生プロジェクト」について
記者会見が平成17年6月6日に行われたそうなのですが、
それまで、このプロジェクトの
存在そのものが伏せられていた。
その理由は、プロジェクトが公になり
日本で話題になれば、メキシコ側にも欲が出てきて
作品の譲渡契約の締結ができがたくなり、
壁画の入手も困難になるやもしらない、と考えられたため、
というお話しも面白かったなあ〜。

たくさんの人たちによる、まさに
常識に外れたかのごとくの尽力によって実現なされた
『明日の神話』の再生について想っていたら、
なんだか、勇気が出てくるよう。。。

考えてみれば、あらゆる困難とは
『明日の神話』のプロジェクトのごとく、どれも
まったく前例の無いことなのだろう、とも思える。
前例が無いからこそ、
どうしたらよいのかわからない。
わからないから、行き詰まる。

そんなときには、
たとえ行き詰まってしまっても、
行き詰まりからこそ、芸術は開けるのだ。
そう、岡本太郎も言っていた。

でたらめをやってごらん!!!

令和6年1月5日

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