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選挙と政治と生活とピ〜ス!

前回noteでは、選挙について
今、ぼくが思っていることを申したですが、
そのなかでもね、やっぱり思うのは
選挙における「投票率」のことだなあ。

たとえば、選挙の投票へと行かない方の理由として
「政治に興味がない」というのもあると思う。
前回でも申したけれど、ぼくはこれまで
すべてかどうかわからないとしても、
毎回、投票へは行っていると思う。
とは言えども、ならば、ぼくは政治に関して
深い見識とか洞察とかを持っているわけでもない。
だからこそ、そういうような、じぶん自身が持つ
浅い考えによって投票するしかないし、
ぼくにはそれしかできないんだから。

ぼくは、ぼくなりに、
政治に興味を持ってたいと思う。

そう思った理由としては、詩人・思想家の
吉本隆明さんが太平洋戦争の敗戦後に考えたこととして、
お話しなされていたことが大きいと思う。
つまり、文学青年だった吉本さんは
人間の精神活動の所以みたいな物事は、
よく考えて心得ているつもりだったけど、
それ以外はまったく考えられていなかった。
じぶん自身の知らないところで、
なにかが起きてしまえば、そのことによって
じぶんの生活や精神的な状態までも、
ぐらっと崩されてしまう。
というようなことを言われていたとぞんじますが。
つまり、社会の出来事だっても、知らなければ
ある場面の状況では生き難くなってしまう。

前回noteの中でね、ぼくは
「投票率が低ければ、組織票を多く持つ
与党及び現職側が有利になる、
と言われている」と申しあげましたが、
このことから考えてみれば、なるべく
投票率を「下げたい」と思っている政治家も
おられるのではないか? とも勘繰ってしまう。
投票率を下げるのに最も有効な手立ては、
政治に興味を持たせないことだと思う。
政治がつまらない、もしくは
政治はおもしろくない、と、
有権者に思わさせることによって、
政治を毛嫌いする人が増えれば増えるほど、
選挙に有利になる候補者がいるのだとすれば。

と、こう考えてみるとすると
「政治に興味がない」と思うのは、
その人がじぶん自身の自発的に
そう思っているか、それとも
自発的ではなくて、他人から
そう思わさせられているのか、
どっちなのかよくわからないとも思えてくる。

政治って、おそらく
案外、生活とも結びついていると思われる。
だからと言って、知って、考えて、
選挙で投票したとしても、政治や生活を
変えられるわけでもないやもしらない。
でも、興味を持って知ろうとしていれば
何かの際において、敗戦直後の
吉本さんが感じられたと話しておられたような、
じぶん自身のすべてがぐらっと崩れる、
みたいな感覚はうすれるやもしらない。。。

前回noteの最初でぼくが申しました、
ぼくの祖父が若いころのぼくの母へと言った
「選挙には行ったほうがいいよ。」
のことばについてあらためて思うのはね、
明治42年生まれの祖父は、生まれてからそれまで
日本の選挙の成り立ちと変化について、
見てこられたのだと思う。つまり、
直接国税15円以上の納税者という項目が撤廃され、
満25歳以上男子の普通選挙が定められたのが、
大正14年(1925年)とのことで、
そうか、それは今から約100年前なのだなあ。
しかし、そのころでも、まだ
女性の選挙権は確立されていない。
昭和21年、戦後初の議院議員総選挙において
満20歳以上のすべての国民の投票、及び、
日本初の女性の国会議員が誕生した。

このことから鑑みるとするならば、祖父が
「選挙には行ったほうがいいよ。」と
女性であるぼくの母へと言ったことは、
女性の選挙権は当たりまえじゃあない、
さらに、普通選挙も
当たりまえにあるものじゃあない、
って伝えようとされていたのかもしれない。

‥‥と考えてみてもね、どうしても
文章の内容は重たくなってしまうけれども。
このようなことをひとことで表現されている作品で言えば
モーニング娘。の2001年リリースシングルの
『ザ☆ピ〜ス!』なのかもなあ〜。
リリース当時も思ったと思うけれど、
今あらためて聴いてみても、この曲はすごい〜!

うぉうお うぉうお うぉうお ピ〜ス ピ〜ス♪♪

令和6年7月7日


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